« Ein Räupchen aus Deutschland (ドイツのイモムシ) | トップページ | DDR(ドイツ民主共和国~東ドイツ) その4 »

2006年5月 8日 (月)

DDR (ドイツ民主共和国~東ドイツ) その3

国境での検査

話は前後しますが、当時の国境での検査は厳しかったです。ベルリンを走るS-Bahn (Sバーン、電車です)の Friedrichstraße (フリードリヒ・シュトラーセ)駅で国境審査を受けたこともありましたが、ハノーファーから列車で東へ向かい、途中で審査を受けたこともありました。自家用車による国境越えでは、係官が鏡を使って車体の裏までくまなく調べたそうです。そんな様子を実際に見て覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

それでも私は日本人でしたので比較的スムーズに終わりましたが、ドイツ人は長くかかることもあったようです。

今でも忘れられないのは、検査待ちの長い行列。化粧合板で出来たような、ちゃちいブースが幾つかあり、そこへ一人ずつ入って審査を受けます。Bürger der DDR (東ドイツ国民)、Bürger der BRD (西ドイツ国民)、Bürger der anderen Länder (その他の国民)と分かれていた記憶があります。東ドイツ国民も、60歳になれば親戚のお祝いなどで西に旅行することが許されていましたから。

で、私は「外国人」の列に並んだわけです。ところが私の順番が来ると、別の外国人が横からスッと入ってきました。そうしたら、隣の列の東ドイツのおばあちゃんたちの怒ること、怒ること。「アンタ、次はこのアジアのお嬢ちゃんの番よ!!!横入りしちゃダメじゃない、並びなさい!ったくもー、親の顔が見てみたいよ!!!」とまで言ったかどうかは分かりませんが、とにかく大勢のご老人がその人を叱り付けたのにはビックリしました。

ドイツ人は順番を守ることに厳しいとはよく言われますが、東ドイツ人も同じでした。さらには、当時の東ドイツは慢性的物不足で行列が当たり前でしたから、順番を守って辛抱強く待つことは常に要求されたことだったのでしょう。(後日また書かせていただこうと考えておりますが、映画「トンネル」でも主人公の妹が店の行列で並んでいるシーンがありましたね。)

そうして審査を終えて出てくると、そこはもう東ドイツ。駅舎は すすけてボロボロ。党(SED、ドイツ社会主義統一党)のプロパガンダは貼ってあっても企業の広告はナシ。ホーネッカー議長の写真は掲げてあっても女優さんや俳優さんのポスターはナシ。西の広告は視覚に訴えるために様々な色を駆使し、ロゴも工夫してあります。ところが東側の文字ときたら、戦争中のナチほどじゃないけど、いかめしい字体でして(さすがにヒゲ文字ではなかったけど)、それだけで威圧感が。

こうした光景を目にするたびに、「ああ、東ドイツにやってきたんだ・・・」と実感するのでありました。友人たちへのお土産は、ハノーファーで買い込んだ板チョコ、本物のコーヒー、ストッキング。かばんにたくさん詰めて、ローカル線で目的地へ…。

それでも首都ベルリンや観光名所ドレスデンは、まだマシなほうでした。1歩奥へ入ると、タイムスリップしたの?と思うくらい寂れていて、「ここはどこ?私は誰?」状態。先日も書きましたが、石炭の質が悪いのに加え、環境対策が遅れていたとのことで、建物がどれも黒くすすけていました。一般の家はもとより、マイセンの大聖堂も真っ黒。排気ガスを噴き出しながら道路を走るのはご存じTrabant、愛称「トラビ」。あれがガタガタガタガタ・・・・と車体をきしませながら走るのです。(別の日に友人の愛車トラビで北上し、バルト海にある島まで旅行しました。いつ車の底が抜けるかと生きた心地がしませんでした、マジで。)

***********************************************

まだまだDDR話は続きます。読んでくださり、感謝いたします(^^)

|
|

« Ein Räupchen aus Deutschland (ドイツのイモムシ) | トップページ | DDR(ドイツ民主共和国~東ドイツ) その4 »

「DDR(ドイツ民主共和国、旧東ドイツ)」カテゴリの記事

コメント

うーむ、じつに興味深い内容ですね。
写真も、見てみたいです。

投稿: なすび | 2006年5月 8日 (月) 09時01分

なすびさん、見てくださりありがとうございます。今度実家に帰ったら、古い写真とか資料とかを持ってこようと思っています。ただ、むやみに駅舎とかスローガンとかを写すとヤバい、と聞いていたため、私が撮ったDDRの写真はモロ観光~というシロモノばかりなのですが・・・

投稿: ありちゅん | 2006年5月 8日 (月) 09時35分

国境でのこと懐かしく思いました。私は1989年のベルリンの壁崩壊のときにちょうど西ドイツに居りました。そのときの体験をもとにした小説「銀のガーベルⅡ」をブログに載せています。第6章でベルリンの壁崩壊前のフリードリッヒシュトラーセの様子、第13章でベルリンの壁崩壊後の様子を書きました。宜しかったら覗いてください。字幕翻訳って素敵なお仕事ですね。

投稿: 絵描き屋 Yoshimi | 2006年5月 8日 (月) 16時33分

追.ときどき、また見させていただきます。Yoshimi

投稿: 絵描き屋 | 2006年5月 8日 (月) 16時36分

絵描き屋 Yoshimi さま、ご来訪ありがとうございました!早速、HPを拝見いたしました。鉛筆画ってすばらしいですね。表紙の絵はオードリーでは?パステル画や色鉛筆の絵も素敵ですが、鉛筆画も味わいがあると改めて思いました。小説も、まだ全部ではないのですが拝読いたしました。小説「プラハの春」「ベルリンの秋」を思い出しました・・・!懐かしいです。お写真も拝見しました。私も後日、ブログで書こうと思っておりますが、1989年の10月に東西両ドイツにおりました。10月末に日本に帰国したため、壁が開く瞬間はドイツでは見られなかったのですが・・・激動の時代でしたね。また遊びにいらしてください。私も小説の続きを読ませていただきますね。

投稿: ありちゅん | 2006年5月 8日 (月) 18時21分

DDRのことを読ませていただくと、私もかつて体験したことが、わき水のようにどんどんとよみがえります。DDRの続きを楽しみにしております。

投稿: Happiness裕之介 | 2006年5月 8日 (月) 22時35分

Happiness裕之介さま

コメントありがとうございます。DDRのことになると、止まらなくなって・・・ついつい長くなってしまいました。記憶をたどりながら書いていますので、万が一事実と違うことを書いておりましたら、こっそり(笑)教えてくださいね。

投稿: ありちゅん | 2006年5月 8日 (月) 23時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« Ein Räupchen aus Deutschland (ドイツのイモムシ) | トップページ | DDR(ドイツ民主共和国~東ドイツ) その4 »