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2006年5月 6日 (土)

DDR(ドイツ民主共和国~東ドイツ) その1

マイセンの友人宅へ(1986年7月)

私がドイツにいた頃は、まだ東西を隔てる壁が存在した時代でした。日本に住む今、ドイツの最新事情には疎いのですが、冷戦の末期の頃のことはよく覚えています。

ドイツへ行って最初の休暇。東ドイツのマイセンに住むペンフレンドの家へ遊びに行くことになりました。

西ベルリンから東ベルリンへ日帰りで行くのは簡単だったのですが、公共のホテルではなく個人宅に滞在するには、あらかじめ申請しておく必要がありました。Das Reisebuero der DDR という国営の旅行会社に申請すると、数日たって許可証が送られてきます。それを国境で提示するとビザを発行してもらえるシステムだったと思います。さらには、1日に最低 25ドイツマルクのMindestaustausch (両替)が義務づけられていました。東ドイツの外貨獲得のための政策です。7日間の予定でしたので、25ドイツマルク × 7 = 175ドイツマルクを東ドイツのマルクに替えました。(余談ですが、当時の東ドイツマルク札は紙の質が悪く、ボロボロ。硬貨はアルミ製。1ペニヒ玉ならともかく、すべての金種がアルミ製というのは、何となく心細く見えました。)

国境を通過する際、一人ずつ検査を受けます。シャレが全く通じそうにもない無愛想な係官がパスポートをチェックするのですが、あの何とも言えないゾッとするような雰囲気、当時を知る方ならきっと今でも覚えていらっしゃることと思います。ソ連ほどじゃないにしても、東ドイツも「こわい」というイメージがありました。

国境を越えると景色が一変。西ドイツでは窓辺に花があふれ、家々はきちんと手入れされ、それはそれはのどかな景色が広がっているのです。ところが東側では花は一つもなく、屋根はボロボロ、壁は薄汚れていて、空の色もなんとなくどんより(石炭の質が悪く、環境対策も遅れていて公害がひどかったらしい)。

途中の駅で友人が出迎えてくれました。彼女は満面に笑みを浮かべて歓迎してくれましたが、駅舎はボロボロ、乗り換えた列車もガタガタ(古いため、きしみがひどい)で埃っぽく、車窓も西独に比べて何となく寂しげ、煙突からは黒い煙がもくもく…。行ったその日に、西側へ逃げ帰りたくなりました。20年経った今もあの光景は脳裏に焼きついています。

行った先では日本人が珍しいらしく、色々な人が話しかけてくれました。そこで新しい友達ができ、そのご家族が「次の休暇においでよ」と家に招待してくださり、友達の輪が広がりました。・・・広がったのはいいのですが、休暇のたびに東ドイツへ行くことになり、会社の人からは「あんまり行くと危ないから よしたほうがいいよ」と言われました。

「まっさか~。日本人の小娘が東ドイツへ行ったところで、どってことないよ~」と当時の私は思っておりました。

ところがどっこい、IM (Inoffizieller Mitarbeiter、国家保安省への非公式協力者) は やっぱりいたんですね。壁が崩壊してだいぶ経ってからですが、元東ドイツの友人の一人が Stasi (シュタージ、 国家保安省)の資料の開示を求めたところ、彼の資料の中に少しですが私のデータもあったのでビックリ! 誰だ?当局にチクったのは!

ご存じの方も多いと思いますが、ご参考までに:「1991年11月、『シュタージ文書法』が議会を通り、1992年1月1日、シュタージが行った監視の調書を一般に公開していった。手続きを済ませれば自由に閲覧が許可され、多くの市民が、自分の調書を閲覧できた。誰が自分を監視し、密告したのか。親友が、仲間が、弁護士が、そして自分の妻や夫が密告者であることも稀ではなかった。調書に記された執拗な記録は、多くの市民を憤慨させた。」(『ドイツの秘密情報機関』関根伸一郎著 より抜粋)

で、この続きはまた明日・・・(すみません、つい思わせぶりな書き方なんかしちゃいました。誰も期待なんてしてないのに…。)

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コメント

Staasiは「生活の一部」だったんですね。私は壁が崩れていまのベルリンになってからブランデンブルク門とかに行きましたが、ほんとにあそこに壁があったわけですね。人も死んだし。。記事を読んで過去の歴史を現実に感じました。日本もソビエトと米国に分割統治されていたら。。恐いです。

投稿: Papagena | 2006年5月 6日 (土) 07時43分

そうなんです。国境付近の張り詰めた雰囲気、今でもよく覚えています。S-Bahn で東へ行く際、途中で写真を撮ろうとしたら、一緒に乗り合わせていた西ドイツ人から「Hoeren Sie besser auf!」といわれたのを覚えています。ヤバかった~

投稿: ありちゅん | 2006年5月 6日 (土) 11時35分

もうなくなってしまった国の旅行記は貴重だと思いますので、別企画としてHP化されることをお勧めします(読みたい!)。東ドイツがなくなってしまった今では、残る秘境は北朝鮮ぐらいですね。こちらはネットで検索すると旅行記がたくさんヒットしますので、もうあまり珍しくないようです。しかし東ドイツは、少ないと思います。

投稿: なすび | 2006年5月 6日 (土) 16時53分

なすびさん、いつも遊びに来てくださり、本当に感謝です!東ドイツの話、面白かったでしょうか・・・?実は私の独りよがりで他の人にとっては興味ない話題では、と不安でした。実は、その5までもう書き溜めてあります。途中でドイツ映画にからめてあるのですが・・・。実家に帰れば当時のアルバムもありますので、そのうちスキャンして載せようかな。量が増えてきましたら、別HPも考えてみます・・・読んでくださる方がいるといいのですが・・・。

投稿: ありちゅん | 2006年5月 6日 (土) 17時48分

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