DDR(ドイツ民主共和国~東ドイツ) その6
読んでくださる皆様、個人的な思い出話ばかり書いてしまって すみません。「そんなの知ってるよー」と思う方も多いと思います。ドイツ映画は東西関係や統一後の問題ぬきには語れないですよね。それでつい、力が入ってしまいまして・・・。あともう少しで終わりますので、お付き合いいただければ幸いです(^^)
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壁の崩壊
86年、87年、88年の東ドイツは比較的平穏でした。私は88年に一度日本へ帰ったあと、89年の10月に1ヶ月ほどドイツへ旅行しました。まさに壁崩壊の直前、「グッバイ、レーニン!」でお母さんが倒れる直前の時期です。西も東も様子が変わっていました。
西側ではテレビで連日、西に逃れてくる東ドイツ人たちの姿を映し出していました。その数も日ごとに増えていきました。そして私は1週間ほどの予定で東ドイツへ。確かベルリン経由で東に入ったと思います。
東ドイツでは、さらに雰囲気が変わっていました。ベルリンではライプチヒと同様、毎週月曜日にデモが行われていました(映画にもありましたよね。)。その拠点となっていた教会に行きましたが、ちょうどデモの翌日で、一件平穏に見えるものの、路上にはロウソクを灯した跡があちこちに残っていました。(確かゲッセマネ教会という名前だった記憶があるのですが、このあたり定かではないです・・・うーん。どこだったっけ。)
その後マイセンへ行くと友人いわく「去年 紹介した●●ちゃん覚えている?あの子、プラハ経由で西に逃げてしまったよ」別の友人も「私のお兄さん、フィアンセと一緒に西へ行っちゃった。お母さんは毎日泣いているの。」 どう言葉を掛けたらいいのかも分からず、何とも言えない気分になったのを覚えています。
後ろ髪を引かれる思いで日本に帰ってわずか数日後、壁が崩壊。ドイツ系の金融機関に勤めていたのですが、先行き不安からフランクフルト市場ではドイツの株や連邦債が投売りされ、軒並み値下げしていく様をモニターで眺めておりました。ドイツ人のトレーダーたちも、この先どうなっていくか分からないと言いながら不安げでした。それがあっという間にドイツ統一。東ドイツにいる友人たちはどうしているんだろう、ととても不安に思ったのを今でも覚えています。
Ein Volk 一つの民族
統一後、勤めていた金融機関を通して買ったメダル。刻印されている文字は:
"Keine Mauer kann ein Volk ewig trennen (壁は一つの民族を永遠に隔てることはできない)"
これを書いていて思い出しましたが、統一直前に繰り返されたデモのスローガンは、最初は「我々にこそ主権があるのだ」の意味を持つ、
"Wir sind das Volk.(我々こそ、人民だ)"
・・・でしたよね。それが
"Wir sind ein Volk.(我々は一つの民族だ)"
・・・に変わっていったんでしたっけ。「ein Volk」とは、さまざまな意味を持つ、非常に重い言葉です・・・ (解釈が違っていたら教えてください。)
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