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2006年8月25日 (金)

聖書の言葉 auf Deutsch

お仕事で wolf (ご存じ、オオカミ。英語ですが)の面白い表現が出てきたので、「ドイツ語でも同じ表現があるかな~」と思い、辞書を引きました。今回は英語と同じ表現は見つからなかったのですが、代わりに「羊の皮をかぶったオオカミ」という表現が目に入りました。有名ですよね。聖書の一句ですが、日本語でも日常的に使われます。♪羊の顔していても~(中略)オオカミが牙を剥く~そういうものよ~♪(古っ これが分かる方はトシです。きっぱり。)

一応、出どころを見ようと思ってドイツ語の聖書をネットでながめているうちに、有名な箇所が幾つか目に入りましたので、ご紹介。(決して布教じゃないですよ~ あくまでも「ドイツ語を知りたい」という思い&私の興味から。)

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マタイによる福音書

5章43節
Ihr habt gehört, daß gesagt ist: «Du sollst deinen Nächsten lieben» und deinen Feind hassen. Ich aber sage euch: Liebt eure Feinde und bittet für die, die euch verfolgen, damit ihr Kinder seid eures Vaters im Himmel. Denn er läßt seine Sonne aufgehen über Böse und Gute und läßt regnen über Gerechte und Ungerechte.

なんじの隣を愛し、なんじの仇(あだ)を憎むべし」といへることあるをなんじら聞けり。されど我はなんじらに告ぐ、汝らの仇(あだ)を愛し、なんじらを責むる者のために祈れ。これ天にいます汝らの父の子とならんためなり。天の父はその日を悪しき者の上にも、善き者の上にも昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせたもうなり。

(Liebt eure Feinde und betet fuer die,という風に「beten」にならないのかな?bitten だと「祈る」じゃなくて「お願いする」っぽくなってしまいそうな気がするのですが。)

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7章7節
Bittet, so wird euch gegeben; suchet, so werdet ihr finden; klopfet an, so wird euch aufgetan. Denn wer da bittet, der empfängt; und wer da sucht, der findet; und wer da anklopft, dem wird aufgetan.

求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。

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7章13節
Geht hinein durch die enge Pforte. Denn die Pforte ist weit, und der Weg ist breit, der zur Verdammnis führt, und viele sind's, die auf ihm hineingehen. Wie eng ist die Pforte und wie schmal der Weg, der zum Leben führt, und wenige sind's, die ihn finden!

狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、その路(みち)は広く、これより入る者多し。生命(いのち)に至る門は狭く、その路(みち)は細く、これを見出す者少なし。

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7章15節
Seht euch vor vor den falschen Propheten, die in Schafskleidern zu euch kommen, inwendig aber sind sie reißende Wölfe.

偽預言者に心せよ、羊の扮装(よそおい)して来たれども、内は奪い掠(かす)むる狼なり。

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今回はルター訳の聖書から引用しましたが、「羊の皮をかぶったオオカミ」は「ein Wolf im Schafspelz」という風に「Schafspelz」とする場合もあるそうです。

先日、ドイツの友人と電話で話すことがあり、どのバージョンの聖書が一般的なのか尋ねました。彼女いわく、「私たちはルター訳が好きだけど、一般的には Hoffnung fuer alle という版が分かりやすくていいかも」。 そのうち、その版の聖書を取り寄せてみたいな~と思っています。

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「ドイツ語」カテゴリの記事

コメント

わたしが持っているのは、HERDERのものです。新しい翻訳のようです。これは、たまたま本屋のオヤジさんに「どれがいい?」と聞いたら、「これにしとき」と言われて買ったものです。

他にも、ギリシャ語からダイレクトで訳したものとか、聖書の翻訳にはいろんなバージョンがありますね。

投稿: 樅の木 | 2006年8月25日 (金) 10時10分

★樅の木さん

さすが~ もうお持ちなんですね。ネットで検索すると、色々なバージョンが出てきて、どれがいいのか分からなくて・・・。変な邪教系のを買ってしまうとコワいし。ルター訳って、難しそうですね。まさか当時の言葉そのままじゃないでしょうけど・・・。今回抜粋した部分は、それほど難しくないですよね。やっぱり現代語風に少し変えているんでしょうか?

投稿: ありちゅん | 2006年8月25日 (金) 12時42分

ルターは当時ラテン語で書かれていた聖書をドイツ語に翻訳し、近代ドイツ語の成立にも重要な役割を果たしたとか。聖書にたち返る・・と宗教改革を唱えルター派をおこしプロテスタントの源流となってこれを機に各地でいろいろな派が生まれていくのですが、翻訳の時に、自分の教義に合わないとヤコブやユダの手紙やヨハネの黙示録などはカットしてしまったりしたそうです。
カトリックで禁止されていた聖職者の結婚や信者の離婚も許可し、自身も結婚し子供をもうけています。
このルターが、ボウリングの基礎を作った人って知っていましたか?中世ドイツでは悪魔祓いの宗教儀式として、まちまちのルールとピンの数だったのを基本ルールと9本のピンを統一して、宗教家の間で人気のスポーツとなったそうです。9本ピンは大変賭博性の高いものだったそうで、のちにアメリカで普及し、賭け事として禁止されたのを、抜け道を考え10本なら良いだろうと今のボウリングが生まれたのだそうです。
(板東俘虜収容所にもドイツ兵たちが9本のピンのドイツ式ボウリング場をつくり、ゲームを楽しみ、その収益金を自分たちが所内で運営していた健康保険組合に寄付しています。)
この話は日本ボウリング協会の役員さんがドイツ館にいらした折に案内していてお話を伺う事ができました。お客様に逆に教えていただいた貴重な話でした。ウディペキアにももっと詳しく載っていますので興味があったら見てくださいね。ルターで検索したらボウリングという項目があります。

投稿: ろこちゃん | 2006年8月27日 (日) 00時54分

★ろこちゃん様

9本式のボーリングとは、Kegelspiel (ケーゲル)ですね!ドイツでは結構メジャーで、私も時々やりました。「ケーゲルの夕べ」とかもあり、集まってビールなどを飲みながらこの遊びに興じるみたいです。でも、この基礎を作ったのがルターだったとは知りませんでした・・・!!!ひゃ~驚きです。特に宗教家の間で流行ったということを伺い、二重にビックリです。

それにしても、ピンを10本にして監視を逃れようとする姑息な手段、結構好き♪ いわゆる「ボーリング」はボールがかなり重いですが、ケーゲルのボールはそれほど重くなかった記憶があります。もう20年くらい前の話ですので、ルールなどは忘れてしまいましたが・・・。時々、ケーゲルをしている場面が映画に出てきたりもします。

ろこちゃん様、いつも情報をありがとうございます!

投稿: ありちゅん | 2006年8月27日 (日) 13時48分

ありちゅんさん、ケーゲルを体験してたんですね!今もドイツではメジャーとは知りませんでした。ドイツでも10本になっているかとばかり思ってました。さすが本場!という感じです。モーツァルトがケーゲルしながら作曲したといわれているピアノ三重奏曲「ケーゲルシュタット・トリオ」という曲があるそうですね。(もしかしたら昔聞いているかもしれませんが)一度聞いてみたいです♪
悪魔祓いから発祥したとなるとボウリングのピンは{ひとがた}でしょうか。もともとは悪魔や魔女と言われ弾圧された人間が標的だったりして・・と考えるとゾッとしますが、中世ならあり得る感じです。それにしても厳格と思われる修道院や教会の中で、ゲームに汗を流している修道僧たちの姿・・想像すると可笑しいです!

投稿: ろこちゃん | 2006年8月28日 (月) 09時52分

★ろこちゃん様

でもね、ケーゲルって「おっさんやおばさんの遊び」ってイメージが強かったみたいで、一緒に誘われた若いドイツ人は嫌がっていました。いわゆるボーリング場というのもあるらしい、とウワサでは聞いたことがあるのですが、彼らはボーリングをやるんでしょうか。

ここだけの話ですが、修道僧にもいろいろいたみたいですね。徳の高い方もいれば、ナマグサ(失礼)坊主さんも・・・。勉強と修行に励む方を尻目に、遊びに興じていた方もいたのかもしれません。

投稿: ありちゅん | 2006年8月28日 (月) 16時04分

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