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2006年9月 3日 (日)

旧東ドイツ時代の Unter den Linden (ウンター・デン・リンデン)

「懐かしのDDR その4」まで書かせていただき、「その5」でマイセンを、と思っているのですが、その前に少し脱線。

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先日、東ベルリンを写した西ドイツの絵葉書を見て、思いました。

「この『いかにも共産圏』っぽい建物 なんだろう?」

東ドイツの友人からもらった「Reisebuch DDR(DDR 旅行ガイド)」があったのを思い出し、ベルリンを調べると、ちゃ~んと載ってました。ご丁寧にもウンター・デン・リンデン を拡大したマップが。

Unter_den_linden__1

(順序は地図と同じです)
国民教育省        ハンガリー大使館
ソ連大使館        ポーランド大使館
エアロフロート       外国貿易省
コーミッシェ・オーパー    FDJ (ドイツ青年同盟)中央組織
グランドホテル       インターホテル“ウンター・デン・
リンデンコルソ       リンデン”

(↑何なのか不明。     ブルガリア文化センター
現在はオフィスビル      ドイツ国立図書館
みたいです)          (↑kio さんがよく行かれる『シュター
労働組合の事務所    ビ』?
                
フンボルト大学

Photo_11

マップと向きが逆になってしまいますが、こうして比べてみると懐かしい・・・。Brandenburger Tor に一番近い建物は、「いかにも共産圏~」という風情ですが、彼らがよく言っていた「Bruderländer (兄弟国)」の大使館だったのですね。納得。当時、これらには全く興味がなく(文化的価値の高い古い建造物にばかり目が行ってた、という意味です)何だったか全く覚えておりませんでした。

それにしても懐かしいですね。よくベルリンの友人から Du würdest Berlin nie wiedererkennen. (今のベルリンに来たとしても、絶対にもう昔の姿は思い出せないよ) と、よく言われます。そのくらい一変してしまったんでしょうね。

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9月6日 訂正:

す、すみません~ 上の「国民教育省」、最初は「国防教育省」と書いておりましたが誤りです。DDRって、「Volks-」の言葉をつけるのが好きみたいで、Volkspolizei (人民警察)とか Nationale Volksarmee(国家人民軍)とか、いろいろありました。個人的には「人民」と訳してもいいのかな、という気もするのですが、小学館の独和によると「国民教育省」となっております。見つけてくださった方、ありがとうございますm(_ _)m  当ブログを読んでくださる方々、もし私がアホな間違いをしていましたら教えてくださいね♪

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「DDR(ドイツ民主共和国、旧東ドイツ)」カテゴリの記事

コメント

皆さん、ベルリンに色々な思い入れがあるようですね。それと、ありちゅんさんの記述を読んで、興味の対象というのはやはり人によって様々だなと思いました。というのも、20年前(今も?)の私は「文化的価値の高い古い建築物」などてんで関心なく、興味の対象は大戦中の遺物や、まさに東側ブロックの大使館の状況などでした。で、ソ連大使館は一番でかくて立派だというのはいいとして、北朝鮮大使館がちょっとはずれた所にあったのが印象的でした。あたりはひっそり、中はこっそりしたあの不気味な空気が今でも忘れられません。

記憶に鮮明にあるのがもう一つ。「6月17日通り」(昔のシャルロッテンブルガー通り)には、ソ連軍戦勝記念碑がありますよね。西ベルリンにあってもこの一角は完全にソ連領だったわけです(そもそもベルリン自体が米英仏ソの共同管理でしたが)。そこで私は「おぉ、あれが記念碑か、そしてあれがベルリンに一番に突入したT34戦車だな!」と独り浮かれていました。ふと気が付くと、通りをはさんでこちらにいる一般人は私一人。記念碑と反対側の向こうの歩道ではみんな私の方を見ています。なんかおかしいなと思ったのも束の間、ちょっと向こうにいた衛兵の東ドイツ兵からAus!と大声が。しかも衛兵の脇ではシェパードが猛烈に吠え立てていて、今にもこちらに向かってきそう。「やばっ、越境しちまった!」とようやく気づいて、両手を上げながら道路の反対側にすっ飛んでいき、あわや銃撃を食らうのをすんでのところで食い止めました。まぁ、それは大袈裟かもしれませんが、でも本当にシャレにならないほど緊迫した雰囲気でした。

その後も2、3回ベルリンに行きましたが、やっぱ東西に分割されていた時代の方が良くも悪くも興味深かったと思います。それにしても、あの、ベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された人々の墓標をじかに見た時は・・・・。国際政治学専攻の私が、机上の理論をこねくり回すだけではダメだと実感・痛感した瞬間でした。昨年ベルリンに出張した際、あの人々の十字架がまだそこにあるのを確認して、非常な安堵を覚えました。念願の統一が叶ったからこそか、みんなまだあの人たちのことを覚えてやっているんだなと・・・・。

長文駄文、失礼しました。

投稿: U99 | 2006年9月 5日 (火) 22時28分

★U99さん

コメントありがとうございます。「興味の対象が人それぞれ」 本当ですね。私が興味を持ったのは博物館ですとか由緒ある建物ですとか東西の品揃えの格差ですとか、そういった割とオーソドックスな部分でした。さすがU99さん、東側ブロックの大使館に興味をお持ちとは。ブランデンブルク門の近くは、とにかく壁や監視塔が気になり、そのすぐ近くのソ連大使館などは全く覚えておりませんでした。こうしてあの絵葉書を見てみますと、ずいぶん共産圏チックな建物だなぁと。

U99さんと私は同い年ですから、モロ冷戦世代ですよね。バニーちゃんの年って壁が作られた2年後、キューバ危機の翌年、ケネディ暗殺の年(これは冷戦とはたぶん関係ないでしょうが)ですし。国際政治学がご専門でしたか。私はドイツ語学だったので、退屈な音声学などのほかは「東西体制の比較」ですとか「壁はどうしてできたか」とかそういうテーマの講義が多かったように記憶しています。だけど大学生のときにベルリンの壁を見て「百聞は一見にしかず」と私も本当に思いました。どんなに理論をつめこんでも、本物を見ないとあの異様な緊張感はなかなかわからないですよね。

ところでソ連軍戦勝記念碑の事件、今でこそ笑い話ですが一歩間違えると、もう一つ十字架が増えていたかもしれません。冗談ヌキで。そのくらいあの一帯は緊張していましたよね、あの頃は。

投稿: ありちゅん | 2006年9月 5日 (火) 23時24分

「もうひとつ十字架が増えていたかも」
まったくそのとおりかもしれません。んで、その十字架には次のような墓碑銘が。
「ここでアホな日本人一人が死す。東西冷戦の犠牲ではなく、単に本人の無知による災いだった」・・・・あぁ、情けな・・・・。

そうですね、私たちは冷戦世代かもしれません。生まれた時からベルリンの壁はあったし、それがずっとあって当然のように感じていましたよね。でもだからこそ、壁が開いたという一報が信じられませんでした。しかし、壁の上でツルハシを振るっているドイツ人の姿が映像で映し出されたとき、遂にこの時がやってきたんだということがようやく実感として理解できました。そしてなにより、自由を渇望する人間の底知れぬパワーというものに深い感銘を覚えました。その瞬間、目頭が熱くなったのは言うまでもありません。

Lili Berlin.....

投稿: U99 | 2006年9月 6日 (水) 23時18分

ありちゅんさん、
ウンター・デン・リンデンの地図、面白いですね!
未だにあるのは、大使館3つと、エアロフロート(一度看板が下ろされたので、『欲しいので下さい!』と言いに行ったら、『新しいのを取付中です!うちはまだつぶれてません!』と怒られてしまいました。)
コーミッシェ・オーパー、フンボルト大学、州立オペラ座、とかでしょうか。
シュタービ、そうです、そうです!私がよく行っているところです。ここは現在改修工事中。
インターホテルは、W杯の時に取り壊しが始まりました。
その更地になった場所で、友達が寿司&ビールを出す屋台を出していました。。東時代には考えられないことだったでしょうね・・。

投稿: kio | 2006年9月 7日 (木) 02時51分

★U99さん

コメントありがとうございます。私たちにとって、冷戦というのは「時事問題」でしたよね。aktuell な問題でした。でも今では冷戦は「歴史」になってしまうんですね・・・少なくともドイツでは流血などがなかったのでよかったのですが、まだまだ問題山積なんでしょうね。壁が崩壊して間もなく、ドイツの証券市場で先物市場がスタートしたのですが、日本でも紹介を兼ねてプレゼンテーションが催されました。出席者に配られたのは、プラスチックのケースに入れられた2、3センチくらいの「ベルリンの壁」。みんな「おぉーーー」と喜んでいました。私ももらったのですが、どこかへ行ってしまいました(泣)。

★kio さん

「うちはまだつぶれてません!」というのがウケました、はい。実は私も、エアロフロートがまだあると聞いて「へ?」と思ったクチです。冷戦時代、「ソ連」という国は何か得体の知れない化け物みたいに思えて本当に怖かったです。政治家なんてニコリともしないし。ゴルバチョフさんが登場したとき、「へー ソ連の政治家にも笑う人がいるんだーー」と思ったのを覚えています。

投稿: ありちゅん | 2006年9月 7日 (木) 11時50分

ウンター 出ん リンデン通り 菩提樹の下の道?すか?(^O^) たしか 昔々買ったドイツ戦車写真集に ここで車両行進してる写真が有りました(^O^)ぴかぴかの四号戦車 ドイツ軍健在なりしの頃ですなあ~

投稿: ひろしマイヤー | 2011年11月22日 (火) 23時41分

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