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2006年9月12日 (火)

Dresden 爆撃

ドレスデンのことを調べていて、次の記事を見つけました。私ったら「ドレスデン大好き」と言っているくせに、爆撃の詳しい内容については知らなかったのです。お恥ずかしい話。先日、NHK でドレスデン空襲の番組を放映しておりましたので、ご覧になった方はお詳しいと思いますが、ご存じない方もいらっしゃると思い、ご紹介させていただきました↓もし、私が間違ったことを書いておりましたら、教えてくださいまし。

Als Feuer vom Himmel fiel  こちらは写真です(写真をクリックしてご覧になれます)

ご参考までに、「ドレスデン爆撃」について。↓資料によって数字がまちまちなので、どれが正しいのか私には分からないのですが・・・。下の資料は、ドイツのウィキペディアとほぼ一致しておりました。

「1945年2月の破壊的空襲の罹災地。同市は数日間昼夜を問わず炎上し、正確な死者の数は不明のままである。45年当時、ドレスデンはドイツ中で最も安全な都市と思われていた。(中略)ヤルタ会談において、ソ連は自軍の攻撃に先立ちドイツの交通の要衝を空爆することを要請し、その結果ドレスデンが標的に選ばれた。

2月13日夜、懺悔火曜日を祝うパーティが終わりに近づいた頃、イギリス空軍による第一波の攻撃が始まった。迎え撃つドイツの夜間戦闘機はほとんどなく、空襲警報が発せられたのもあまりに遅すぎた。この夜の二波にわたる攻撃で、786機のイギリス空軍爆撃機は計2467トンの爆弾を投下した。翌朝、今度はアメリカ空軍爆撃機316機が襲来した。その翌日の2月15日木曜、別のアメリカ空軍爆撃機211機が白昼さらに襲来した。

最初の空襲から二日後の2月15日にはすでに列車がドレスデンで運行していることから、この空襲の有効性については疑問がもたれるかもしれぬ。」(以上、三交社「ナチス第三帝国事典」より一部引用)

*ドイツのウィキペディアによると、2月13日22時13分の第一波で襲来したのは244機、日付けが変わった1時23分の第二波で襲来したのは529機となっています。聖母教会が焼け落ちたのは2月15日10時15分ごろ、となっておりました。

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このStern 誌の記事でも、ドレスデンを爆撃する軍事的な必要性が本当にあったのか、と疑問を投げかけています。ナチス政権は「Kampf bis zum letzten Mann (最後の一人になるまで戦う)」というスローガンを掲げていたため、まだ戦争は長引くとする意見も連合国側にはあったようです。しかし戦争末期のドイツ軍は、末期の日本軍がそうであったように、壊滅的な被害を受けて戦闘能力はほとんど残っていなかったようです。このあたり、素人の私には分からないのですが、無防備だった古都ドレスデンがこの2日間の空襲により、versank in Schutt und Asche.すなわち焦土と化してしまい、多くの犠牲者(犠牲者の数については諸説あるそうですが)が出たことだけは確かです・・・。

Frauenkirche_3

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「ドイツ史がらみのこと」カテゴリの記事

コメント

写真見ました。なんと悲惨な焦土でしょうか。歴史的建造物のすべてが破壊され大勢の人が一瞬の間に命を絶たれてしまった様子に胸が痛くなりました。ありちゅんさんのDDR崩壊寸前の時代の写真も戦争の爪あとが残っていましたが、この爆撃直後であろう写真は凄まじいです。ドイツは自国の国土内で第一次、第二次とふたつの戦争を行っているのですよね。いまさらながら戦争の悲惨さを感じます。
今も世界のあちこちで争いが・・。人類はいつまでこのような戦争をしていくのでしょう。人類がいる限りという人もいますが、哀しいですね。

投稿: ろこちゃん | 2006年9月12日 (火) 20時15分

あ、私このサイト記憶に残ってます。以前にみてどこかのサイトに引用した記憶が…ありちゅんさん家じゃなかったかもしれないですね。
Als Feuer vom Himmel fiel
てタイトルでDresden爆撃の何周年かのGedenktagにSpiegel(このネタばかりですみません。Aboして毎週読んでいるので…)の特集がでたのです。で、この言い回しは何から着てるんだろう…って検索した覚えがあるのです。

そう、そうなんですよ…Dresdenは戦略的に重要な土地ではなく見せしめに無意味にやられたのです。ドイツが受けた被害で真っ先にあがるのが、Dresden, Hamburgの空襲ですね。

写真特に三枚目のRathausの像の写真あまりにも有名で象徴的で見ていて切なくなります。像(女神?)が手を差し伸べる先に廃墟がある。空襲前に全く同じアングルで撮られた写真と並べて掲載されていることもあります。

投稿: spatz | 2006年9月12日 (火) 21時51分

★ろこちゃんさん

こんばんは。いつもコメントありがとうございます!本当に悲惨な写真ですよね。いかにひどい爆撃だったか、写真が物語っていますよね。東京大空襲の記録映像なども見たことがありますが、いつだって犠牲になるのは庶民。空襲は非戦闘員まで焼き尽くしてしまうのですから、絶対にしてはいけないことだと改めて思いました・・・。二度の大戦、ナチスによる独裁、東西分断、そして再統一。20世紀のドイツは本当に激動の時代そのものだったんですね・・・

★spatz さん

写真から、あの空襲が凄惨を極めたということが伝わってきますよね。ウィキぺディアによると、当局の怠慢で防空壕が不十分だったとか。ドレスデンはまず攻撃されまい、とタカをくくっていたみたいです・・・。栄華を極めたElbflorenz も、一瞬でversank in Schutt und Asche ですから、本当に切なくなりますよね。

投稿: ありちゅん | 2006年9月12日 (火) 22時26分

ちょっとご無沙汰しました。

一般に、戦略爆撃の有効性は今でも評価の分かれるところのようです。例えば、ドイツに対する爆撃が最大になった1944年は、ドイツの戦車生産量が最大値を示した年だとか。問題は、昔の爆撃は今ほど精密ではないから結局無差別なんですよね。今の「精密爆撃」ですら民間人の被害は免れ得ないのですから。

ドレスデン空襲で一つ救いなのは、最近の聖母教会の修復にイギリスのコベントリーからの資金援助があったという話です。昔の敵同士が和解した象徴ですよね。ただ、これも時間が癒したからかもしれません。例えば、パレスチナ・イスラエルの武装闘争はまさに現在進行形なわけで、その当事者たちはお互いを許せるのか?

私はその昔、東西冷戦が終われば人類の未来は明るいと考えていました。でもそれはウブな幻想でしかなかった。ルワンダやボスニアの虐殺事件は、それまで何十年に渡って親しい隣人であった人々ですら、一端火がつくと簡単に殺し合いをするという事例を見せ付けてくれました。民族や宗教の問題は政治イデオロギー以上にやっかいだということがわかります。

もし、時空を越えて人類のところまで到達可能な宇宙人というものが本当にいたら、彼らは闘争本能というものを完全にコントロールできる生物であるはずだということです。なぜなら、闘争本能を管理できなければ、それ以前に戦争によって絶滅している確率が非常に高いし、時空を越えるような高度な科学技術を発展させることなど到底不可能だからだそうです。我々はどこまで発展できるでしょうか。

投稿: U99 | 2006年9月12日 (火) 23時20分

★U99さん

こんばんは。コメントありがとうございます。この一連の写真は見ているだけで本当に考えさせられますよね。spatz さんも上でおっしゃっていましたが、女神の像が悲しげに手を差し伸べている写真、あまりにも悲しすぎます。ただし連合国側にも別の場所で甚大な被害が出ているわけですから、結局いけないのは戦争を始めた上層部ということでしょうか。

折りしも一昨日は9.11。暴力は暴力の連鎖を生むだけだということをまざまざと見せ付けられましたよね。(実は主人の弟が当時、あの貿易センタービルで働いておりました・・・!命からがら脱出しましたが。ビルが崩れる映像は何度見てもつらいです)一方で9.11の犠牲者数をはるかに上回る犠牲者がイラクで出ている・・・。U99さんがおっしゃるとおり、冷戦の時代の終わりは、新たな紛争の幕開けでした。人間とはかくも愚かな生き物かと思ってしまいます。このままでは、時空を超える科学技術を発明する前に人類は滅びてしまうでしょうね・・・。

投稿: ありちゅん | 2006年9月12日 (火) 23時51分

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