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2006年9月 3日 (日)

懐かしのDDR (その4 ドレスデン)

DDR(旧東ドイツ)でもっとも有名な都市といえばベルリンですが、ドレスデンもその次くらいに人気の観光スポットでした。私がDDR を訪れるきっかけとなった友人はマイセン在住だったので、彼女の家からドレスデンへもよく行きました。

ところが!「エルベ川の真珠」だと聞いていたので、それはそれは楽しみにしていたのですが・・・。確かに建物も博物館も宮殿も立派!!圧巻!!だけど とにかく真っ黒。ドレスデン爆撃の影響でしょうか。(後ほど追記:ブログに来てくださった方に伺ったのですが、石に鉄分が含まれていて、それが月日とともに黒ずんでしまうんだそうです)一つ一つ石を拾って再建した、と聞いたのですが、それにしても全面的に真っ黒・・・。最近再建された聖母教会と同様、新旧の石が入り混じる「まだら状態」ではあるのですが、新しい石まで黒ずんでる・・・。西ドイツの人からは、冗談半分で「東ドイツは環境対策が遅れていて、質の悪い石炭を使っているから全てが真っ黒なんだよ~」と聞いておりましたが、それもあながちジョークではなかったのかな、とも思ったり。見事な建造物の数々に感銘を受けるというよりは、とにかく痛々し映り、見ていて辛かったです。

Semper Oper (ドレスデン歌劇場)はDDR のメンツもあったし、貴重な外貨獲得源でもあったのでしょう。再建され、きれいに手入れされていました。夜になるとDDR の建造物にしては珍しくライトアップされ、ため息が出るような美しさ。(ただし、DDR の人はめったに券を買えなかったそうな。)Zwinger (ツヴィンガー宮殿)も見事でした。そのほかにも美術館、博物館と見どころ満載。でも資金難は深刻だったのでしょうか。その他の建造物のメンテナンスまでは手が回らなかったのか、とにかく痛々しいの一言でした。教会などは中に入ると祭壇もボロボロ。上述の Frauenkirche (聖母教会)も当時はガレキの山。戦争を忘れないためのモニュメントというよりは、たんに財政難で放ったらかし、という印象も受けました。繁茂していた雑草が風になびき、物悲しく見えたものです。

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さて、せっかくドレスデンに来たのだから 素敵なカフェでアウグスト強王の話でも聞きながら美味しいケーキでも・・・と思っても、カフェの類は長蛇の列(共産圏名物の行列)か、閉店(Geschlossen)か、休業日(Ruhetag)。このあたり、前にも書かせていただきましたので、よろしければご覧になってみてくださいね。

DDR について (過去の記事) よろしければ、コチラも・・・

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ドレスデンの名所の写真はネットや書籍でいくらでも手に入ると思いましたので、当時の様子が分かる写真だけを載せさせていただきました。もっと面白い写真もあったように思うのですが、実家に置いてきてしまったみたいです。あとは私がどどーーーんと映っていたりして、お目を汚すのはあまりにも申し訳なく・・・。

Dresden_kirchen_
こんな感じで真っ黒でした。この写真から20年を経た現在も、写真を見るかぎり黒っぽさは残っていますが、でもこれほどでは。再建はもちろんのこと、汚れをきれいにするにもお金がかかるのでしょうね。左が確か、Residenz (レジデンツ)、右が katholische Hofkirche (カトリック宮廷教会)。

Dresden_kirche_1
とにかく真っ黒で痛々しいばかり。これもカトリック宮廷教会。

Kirche_1
これも同じ教会かな? 横から見た図です。

Semperoper_1
Semperoper は美しいですね。再建が完成したのが1985年ということですから、完成直後ということになります。きれいな写真ですね~絵葉書じゃないっすよ~。 私ったら、つい自画自賛。あの頃はまだ本物のガス灯があったんですよ~。そうそう、マイセンの友人が「一度でいいから、あそこで音楽を聴きたい!」と言っていました。その夢は統一後にかなったとか。

Semperoper_2
Semper Oper の前の駐車場じゃないかなぁ・・・・。トラビに混じって西側の車がかなり停まっています。

Zwinger
Zwinger宮殿の前。トラビや東製のバンが見えます。バスのお尻も映っていますね。

Frauenkirche_2
Frauenkirche_dresden 先日も載せさせていただいた、夕日を浴びる Frauenkirche (聖母教会)のガレキ。まさか再建されて→ こんな美しい姿によみがえることになるとは…。当時は思ってもいませんでした。とにかく再建にはお金がかかると聞いていましたので。

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P8310034
Kügelgenhaus (キューゲルゲン・ハウス)という、由緒あるところでランチかお茶をしたようです。字が読めないので何を食べたか分かりません・・・残念!検索したところ、ここは博物館となっているのですが、食べる場所もあったのかな?記憶が曖昧でして・・・。なお、旧東独時代、この所在地は Straße der Befreiung (解放通り)という、いかにも共産圏な名前でした。ま、レーニン通りとかテールマン通りじゃないだけマシか。統一後は元の Hauptstraße (中央通り) に戻っています。

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「DDR(ドイツ民主共和国、旧東ドイツ)」カテゴリの記事

コメント

semper Operの楽団、シュターツ・カペレの
クラリネット奏者の方にお話を聞いた時、
ふと、何でこの道に進まれたんですか?
と聞いたら、ちょっと顔に何かの表情が走りました。
あっ、もしかして・・と思ったところ、
『本当は他の仕事に就きたかったのだけれど・・』と
ぽつり。
何らかの理由で、希望の学科に進むことを国(DDR)から許可されなかったようなのですね。
でも、semper Operのシュターツ.カペレといえば
いぶし銀、と言われるすばらしいオケなのだから、良かったのでは・・と思うのは、やはり本人ではないからなのでしょうか。

私はここでオペラ初体験をしましたが、すばらしかったです!!

投稿: kio | 2006年9月 3日 (日) 02時25分

すごい真っ黒くろすけですねえ。知らずに見たら、「東ドイツのひとはこういうのが趣味なのかな」と勘違いしそうです。石炭ってこんなに汚れるものなんですね。
なすびの机にひとつ、石炭の塊が置いてあります。大きさは5センチくらい。前に住んでいたところの公園で、機関車模型の同好会のおじいさんにもらいました(その公園には周りを囲むようにレールが敷いてあって、月に一回子供たちを乗せて走ってくれたのです)。実車同様、本物の石炭で走っていると聞いてびっくりしました。おじいさんは、「良質の石炭で高いんだよ」と言っていました。石炭の実物に触れたのはそれがはじめてで、かちんこちんに硬くて、真っ黒で驚きました。それまでは炭みたいなものかなと思っていましたが、石というか、ごつごつした「岩」ですね。

投稿: なすび | 2006年9月 3日 (日) 07時52分

ドイツの観光パンフなどでは「麗しきエルベの古都」と紹介されるドレスデンがこんな凄まじい状態だったなんて・・・最近のありちゅんさんのブログや過去記事で改めて、DDRの崩壊寸前の頃の生の様子を知りました。観光旅行だけではわからない東西ドイツの歴史は重いですね。住んでる人にはもっと切実だった(現在形かも)でしょう。

投稿: ろこちゃん | 2006年9月 3日 (日) 11時36分

★kio さん

kioさんのHPの記事(ゼンパー・オーパーに行かれた際の記事)を拝読しましたっっ いいなぁ~ナマでご覧&お聴きになったんですね。羨ましいです。せめて中に入ってみたかった! 聖母教会の再建も大変そうでしたが、この歌劇場の再建も相当な労力やお金を要したでしょうね・・・。とことん「オリジナル」にこださるドイツ人の気概を感じてしまいます。

★なすびさん

先日教えてくださった、ドイツ各都市への爆撃、相当なものだったんでしょうね。ここドレスデンも壊滅的な被害を受けたとのこと。でも、この黒さは戦争の爆撃による影響だけではないような気が。石炭の品質にも色々ある、ということは私も知りませんでした。良質だと煤煙とかも少ないそうで、質が悪いと効率が悪く、排出物が多く 環境に悪かったらしいですね。

★ろこちゃんさん

こんにちは~ 新聞などにも、よく旅行会社の広告が載っていますが、ドレスデンもよく見かけます。観光スポットとして人気があるんでしょうね。観光客が増えて収入がアップし、さらに再建やクリーニングが進むといいなぁ~と思います。

投稿: ありちゅん | 2006年9月 3日 (日) 17時00分

こんにちは、ミクシイから来ました。領収書の「古文書読解」にチャレンジしてみます。

まず、これは「お茶」ではなく「ランチ」でしょう。最初の品物が2人前で17マルク20ペニッヒですから、ケーキでは高すぎます。

2番目は"Selters"(甘い炭酸水)、3番目は"Cola"(東独産のVita Colaか)でほぼ間違いありません。読めないのが最初の料理です。"Huhn"+"Suppe"とも思えますが、なら"Huenersuppe"と一気に書いてしまいそうです。しかも、当時の東独の料理としてはずいぶん高いですから、スープではなさそう…、とこのあたりが私の限界です。

ドレスデンですが、黒ずんだ建物の「真犯人」は砂岩の中の鉄分だそうです。19世紀の写真ですでに真っ黒でしたし、今なお黒いのがその証拠です。再建された聖母教会も、100年後にはまた黒くなるとのこと。ただし、当時のマイセンの写真も拝見しましたが、石でないところも黒ずんでますね。あれは本当に煤けていたのでしょう。ドレスデンもその部分は洗い落とされたはずです。

投稿: 焼きそうせいじ | 2007年2月 5日 (月) 13時16分

★焼そうせいじ様

こんにちは。ようこそおいでくださいました。実はspatz さんの御宅でお名前はいつも拝見しておりました。どうぞよろしくお願いいたします。

解読してくださり、ありがとうございます・・・!なにせ大昔の話でして、何を食べたか全く記憶がないのです。しかもこの文字。暗号か?と思うほどで読めませんでした。そうですか、Selters とCola。確かに一番上はHuhn何とかに読めますよね。うーん・・・なんだったっけ・・・たぶんドイツによくある大皿料理だったと思うのですが。お肉に赤キャベツとニンジンのサラダとポテトがついているような。お料理も撮影しておけばよかった・・・。

ところで建物が真っ黒なわけを教えてくださり、ありがとうございました。鉄分のせいだったんですね。今は真っ白で美しい聖母教会もいずれ黒くなる運命とは・・・トラビの排ガスで真っ黒だとか、石炭の煙で真っ黒だというのはブラックジョークだったんですね。そういえばケルンの大聖堂も黒ずんでいますが、あれも同じ理由でしょうか。いずれにしましても、経年による黒ずみは仕方ないですよね。いろいろ教えていただき、ありがとうございました。Mitteleuropaのサイトも遊びにお邪魔いたします。

投稿: ありちゅん | 2007年2月 5日 (月) 18時25分

週末にドレスデンを通った際に、Kuegelgenhausに寄って見ました。レストランは健在でしたが、当時の人はもう誰もいないとのこと。おいしい串カツ(ドイツでは初めて見つけました)をいただきました。

「古文書読解」ですが、あの注文書きを中年のウェーターさんに見せましたが、彼も自分の字じゃない走り書きは判読し切れませんでした。一つの可能性は「チキンのシュニッツェル」かもしれません。

投稿: 焼きそうせいじ | 2007年2月13日 (火) 01時36分

★焼そうせいじ様

こんにちは。もしかしてわざわざKügelgenhaus に寄ってくださったんですか!ありがとうございます。なんだか申し訳ありません。ドイツにも串カツなんてあるんですね・・・ちょっとビックリ。ちなみに中は何でしたか?日本ですと豚肉と玉ねぎ、と相場が決まっているのですが(笑)

古文書の解読もありがとうございました。店員さんに聞いてくださったんですね、ありがとうございます。Schnitzel という線、濃厚ですね。ただのSchnitzel じゃなくて、Wienerschnitzel のようにパン粉をつけて焼いたものかもしれないなぁ、と思いました。と言いますのは、一緒に食事した友人はパン粉系のお料理が大好きで、Wienerschnitzel ですとか、Cordon Bleu などを好んで注文していましたから。大昔の話なのですが、いろいろ思い出してまいりました。ドレスデンではなくマイセンの話なのですが、Vincenz Richter(スペル違うかもしれません)という古いKneipe に同じ友人と行き、地下にあった拷問部屋を見せてもらったことも。普段は公開していないのですが、ヤパーネリンということで特別に見せてもらいました。

投稿: ありちゅん | 2007年2月13日 (火) 11時28分

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