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2006年10月25日 (水)

KPM (ベルリン王立磁器製陶所)

いつも遊びに来てくださり、ありがとうございます。ここ数日、バタバタしておりました。この記事も書きかけのまま塩漬けになっていました。仕事で少しだけMeißen 陶磁器が出てきまして、それで KPM のことを思い出したというワケです。

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ドイツの陶磁器というと、誰もが思い出すのがMeißen。私も眺めるのは好きでした(値段を聞き、欲しくなくなりました。私には庶民的な食器のほうが似合う…。)。昔、ベルリン出身の方の前で、「マイセンって、いかにも王族の食器って感じで素敵」と言ったところ、「いんや、こっちのほうがず~っとすごいんだ」と、ベルリン訛りで秘蔵の食器を出してくれました。お母さんがお嫁入りのときに銀のBesteck (ナイフ・フォーク・スプーンセット)とともに持ってきた「Aussteuer (嫁入り道具)」だそうです。そのとき、私は初めてKPMなる窯を知りました。

陶磁器についても お詳しい方が大勢いらっしゃるので、あまり偉そうなことは書けないのですが、好きで集めていた陶磁器の本とネットで検索したのをちょこっとだけご紹介。

Königliche Porzellan-Manufaktur Berlin

KPM のマーク  KPM の HP KPM の 日本語サイト

KPM の食器 (Mutter の Aussteuer は、これにソックリでした)

18世紀ごろのヨーロッパでは、中国や日本の陶磁器が憧れの的だったということは、よく知られています。錬金術師ベットガーがアウグスト強王の支援の下、マイセン陶器を生み出したことも有名。プロイセンのフリードリヒ大王もご他聞にもれず、窯の所有を強く望んでいたとか。1751年には織物工場主に資金援助を行い、窯を開設。しかしほどなくして財政的に破綻をきたし1757年に閉窯。それにもめげず、黄金にも負けない「das weisse Gold (白い金)」の開発を目指し、先頭に立って指揮をしたとのこと。

そうして1763年9月。マイセンに遅れること50年、KPM が産声を上げたそうです。窯印はZepter(笏、しゃく・・・王が手に持つ棒みたいなもの)。ブランデンブルク選帝侯であった王の紋章から来たそうです。『私有林を伐採して燃料を作り、原料の土は免税とした。会計監査、職人の社会保障、労働時間にいたるまで(フリードリヒ大王が)直接指示を下したという』(浅岡敬史「ドイツ・オーストリア洋食器の旅」より引用)

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それにしても、当時の国王たちの陶磁器に対する執念はスゴイ!ベットガーはベルリン出身だったこともあり、フリードリヒ大王はザクセンに先を越されたことを相当悔しがっていたとか。王国が競って陶磁器の開発&製陶所の設置を急いでいたなんて、やはりドイツは連邦国家なんだな~と改めて思った次第でした。

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「ドイツのモノ」カテゴリの記事

コメント

古い記憶がよみがえりました…。マイセンのカタログを翻訳したことがあったのです。アンティーク食器などのお店をしてらっしゃる方で、ご自分は専門家だから写真や番号や年代などでいろんなことがわかるけれど、でもこのドイツ語の古いカタログの中身を読めればもっと楽しい…とかで。今思うと恥ずかしいような意味不明な部分もある翻訳をしていたような気もするのですが…でも、当時の自分も、これはDDR文だ!とすごく興味深く感じたのを覚えています。

ちょっと引用します(時効だと思うので、笑)「金賞への望みは翌年秋のライプツィヒのメッセで初めて叶えられた。しかしここでは装飾自体は同じ物であったが「煙草と書き物のためのサービス」とのコンビネーションで認定された。考えられるのは、1963年9月1日の、18世紀の装飾(「たまねぎ模様」とヨハン・エリアス・リーディンガーによるWildmalerei)に金賞が授与された際のヘルムート・リーリエ(Helmut Lielie)による評が引き続き影響を持っていたということだろう:金賞はつねに新しいもの、つまり新しいマイセン磁器に与えられるべきである、古いものにではない。狭義の意味においてはこのサービスフォルムは新しくはなかった。1965年の春のメッセではこのフォルムは紹介されただけでなく、受を授与された。ここで後々まで影響を残したある批判が注目を集めた。ワルター・ウルブリヒト(訳者注:SED書記長)は(リーリエと同じ日に)1963年のライプツィヒの秋のメッセでマイセンのブースを訪れ、賞賛とともに批判も口にした。装飾「千一夜物語」が紹介された当時人々はこの批判を繰り返たのだ。ウルブリヒトは、1966年の秋のメッセのマイセンのブースで、展示ケースの中に「労働者」「胸像」がないのを指摘した。このようなテーマは「千一夜物語」の世界とはかけ離れたものである。ウルブリヒトの考える労働者という表現このようにして「千一夜物語」はまず成功をおさめ、沢山のほかのフォルム上にも描かれることになった」

な、なんてワケワカメな文章なのだ!!
でも、Gremiumの決定がどうのこうのなどという言葉が常に出てきて、ブッキ-。芸術というか統制されたなにか?のようで…  ヘンな投稿をしてしまいました、すみません。。。

投稿: spatz | 2006年10月28日 (土) 16時13分

すみません、ワケワカメな投稿をしてしまいました。
陶器に詳しい方ならきっと何をいっているのかわかるんでしょうね…
翻訳した元の独文が残っていないので、どんな単語だったかわからず、私のつけたテキトウ訳がいかにヘンかも確認できず。まあ、もともと「なんとなくでも意味がわかればうれしい」程度の依頼だったので(て言い訳)。
でも、
「マニュファクチャーの芸術審議会がコレクティブのなんとかかんとか」とか「芸術家集団」とか「審議会で価格が決定される」とかいう言葉が何度も繰り返されていたのです。芸術活動、というか、芸術家は集団に属し、原語はKollektivだったのかな?委員会の認めたモチーフだけしか描けなかった…のでしょうね。

無知ですみませんぬ。

先ほどの引用にミスがあったので
「ウルブリヒトの考える労働者という表現は、幸運な事に文学的な表現としても許容された。このようにして「千一夜物語」はまず成功をおさめ、沢山のほかのフォルム上にも描かれることになった」て文脈ですが。あまり意味ないですが、ウルブリヒトがでてきたもので…

投稿: spatz | 2006年10月28日 (土) 16時24分

★シュパちゃん

貴重な翻訳文を載せてくださり、ありがとうございました。でもごめん、私には難しくて・・・(汗)すごく共産圏していますね、この内容。モトのドイツ語もきっとめちゃくちゃ難解だったんでしょうね。お疲れ様でした・・・(って今ごろ言っても遅いのですが)やっぱり私には陶器市で売っている水玉陶器が似合うのだ。

投稿: ありちゅん | 2006年10月29日 (日) 00時30分

ありちゅんさま。
成城石井でzooクッキーとともに購入してしまったワインを飲んでいたため、あまりにもヘンなコメントを残してしまいました。もうかなり前に訳したものなので、まあいいしょう。まだ勉強中です、のころです(念のため)。
美しいマイセンの裏にはこんな(ってどんな?)世界があったのかあ~と思わせられた体験でした(イミフ)。アンティークは「キレイ」だけれど、共産圏で生産されているものは、西側にくらす私達にはちょっと想像つかないような裏側があるんじゃないかな、と思ったのです。「芸術」「デザイン」って「自由」という概念とついつい無意識に結び付けらちゃうんですけれど、けっしてそうではない時代や地域があってこその、自由なんだ、とかなんとか思いました。
だって今の我々が「新しい芸術」とかいう言葉をきいたら、誰かの自由な発想から生まれたオリジナリティーの賜物、という連想をしますもの・・・DDRに特に詳しくないながら、ついつい書いてしまいました。イミフ。

投稿: spatz | 2006年10月29日 (日) 10時13分

ベルリン王立磁器製陶所KPM [Berlin-Tokyo Galerie]を千代田区三番町24-25に創設いたしました。半蔵門線「半蔵門」出口5 大妻女子大の北口門前にあります。
お近くにお越しの際は、KPMの製品を実際にご覧になってみてください。(電話:03-6426-1707)
日本橋高島屋の通りにある「domani日本橋」のショールームでもクリスマスのシーズンでもあり、ここでは24金彩色の「Arladia」のシリーズをご覧いただけます。マリ・エンツォ氏デザインの「ベルリン」シリーズは表参道ヒルズ内、HIDA OMOTESANDOでご購入も可能です。

投稿: KPM Berlin-Tokyo Galerie | 2007年11月19日 (月) 10時45分

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