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2007年2月 4日 (日)

ドーデ「最後の授業」が消えたわけ

Pa090007_1以前、アルザス食器を売るお店の閉店セールで、思わずミニ・クグロフ型を10個も買っちゃった記事を書かせていただきました。某SNS でもそのことに触れましたら、アルザス→アルザス・ロレーヌ→普仏戦争でドイツ領エルザス・ロートリンゲンに→「最後の授業」という風に話が飛び、ネットで検索してみました。すると「え?知らなかった・・・!」とびっくりすることが。それ以来、関連本を読みたい、読みたいと思いつつなかなか読めずにおりましたが・・・

P1010023_2消えた「最後の授業」 
府川源一郎 著、大修館書店 

昨日の夜中、ようやく読むことができました。もしかして「何をいまさら~常識だよ~」と思われる方も多いかもしれません。偉そうにブログに書いちゃったりして、無知をさらけだすことになるかも・・・と少し躊躇したのですが、私みたいに知らなかった方もいらっしゃるかもしれませんので、書いちゃいました。ご存じの方は、スル~してくださいね。(前置き長くてスミマセン)

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フランス人作家ドーデの「最後の授業」は1927年(昭和2年)に初めて国語の教科書に掲載されて以来、途中15年ほど空白の期間はあるものの、1986年(昭和61年)まで多くの教科書に掲載されていたそうです。私もよく覚えています。その当時、「へ~ 『明日からあなたたちは日本語を話してはいけません』と言われたら悲しいな。ドイツってひどいことをするんだな~」と単純に思ったのを記憶しています。86年までということは、現在20代の方は習っていないことになりますね。

<「最後の授業」>
「月曜物語」という短編集の中の1編だそうで、もともとは毎週月曜日、新聞に連載されていたものだそうです。「最後の授業」のお話が掲載されたのは1872年5月13日。ちなみに普仏戦争でパリが陥落したのは1871年1月28日、フランクフルトにて平和条約が締結されたのが1871年5月10日だそうです。ドイツ領となるに伴い、授業でもフランス語ではなく、ドイツ語を話さなくてはならなくなる。フランス語による最後の授業。村人までが教室に来て神妙な顔つきで授業を聞いています。最後にアメル先生は、フランス語がいかに美しい言葉であるかを切々と説き、「ある民族が奴隷になっても、その国語を保っている限りは牢獄の鍵を握っているようなもの。フランス語を忘れてはならない」と話して聞かせる。当時の私は素直に感動しました。

<日本における「最後の授業」>
同書の解説によりますと、ドーデの作品を最初に日本に紹介したのは森鴎外(!)だそうです。時は1889年、ドイツ語からの重訳だったそうな。「最後の授業」は1902年に「をさな心」という邦題で紅葉山人(尾崎紅葉)と羝夢生の共訳として出版されたんだそうです。その後も様々な人が翻訳を手がけてきました。面白いのは読売新聞に載ったバージョン。題名が「最終のお稽古」で、「おしまひのおけいこ」とのルビが。

<アルザスの人々は何語を話す?>
「明日からフランス語を話せなくなる」のが屈辱的であるというのは、母国語がフランス語であるのが前提ですよね。母国語が話せなくなるなんて、なんて悲しい・・!が、同書によりますと、「アルザスで話されている言葉はアルザス語。ドイツ語の方言形態であり、厳密にはアレマン語とライン=フランク語というゲルマン方言」なんだそうです。樅の木さんも以前ブログに書いておられましたが、アルザス地方ではドイツ語が通じるんですよね。私も旅行で訪れた際、「おっ通じた!すげ~」と思ったことがありました。

著者はここで書いておられます。「こうしたアルザスにおけるアルザス語の位置を見ていくと、アメル先生の言葉はフランス中央の側からの発言であって、アルザスの人々の意識の深層にまでは十分に触れていないことが分かるだろう」 フランス語はアメル先生の言葉なのであり、アルザスの人々の言葉はやはりアルザス語。この物語は、あくまでもパリに住む読者に向けたもの。普仏戦争敗北により失ったものに対する思い、プロイセンに対する複雑な感情が背景にあるのだと。う~ん。子供の頃、素直に感動したお話も、大人になってそうした事実を知った上で読んでみると感動が薄れちゃう。ナショナリズムのにおいがしますね。

<消えた「最後の授業」>
1970年年代の後半から1980年代の前半にかけて、この「最後の授業」は「国民教材」化したそうですが、それに対して異論も出てくるようになったそうです。そこにあるのはやはり、アルザス人にとってフランス語もまた自国語ではない、という事実。そうこうするうちに、「最後の授業」は国語の教科書から姿を消してしまったそうです。(ただし、このお話をアルザス民衆たちの「国語愛」の物語だと勝手に誤読し、過度に肩入れしてきたのは日本の読み手たちであった、いう解説も載っています。この物語が美しいお話であることには変わりない、ということでしょうね。確かに悪く言ってはドーデさんが気の毒。)

著者の先生はさらに、日本の国語教育についても戦前戦後に分けて詳しく掘り下げておられます。私は国語が苦手だった(実は今でも)ので、この部分は触れずにおこうっと。アホがばれちゃう。

消えた「最後の授業」(著者のHPのようです)

「最後の授業」について(ウィキペディア)

普仏戦争(ウィキペディア)

Deutsch-Französischer Krieg (Wikipedia)

オットー・フォン・ビスマルク(ウィキペディア)

<おまけ>
長くなってスミマセン。アルザス銘菓「クグロフ」は、今映画で話題のマリー・アントワネットのお気に入りだった、ということで有名ですよね。一方、鉄血宰相ビスマルクの好物は、Baumkuchenspitzen (バウムクーヘンを小さく切り、チョコレートがけしたもの)だったんだそうな。先日ご紹介したユーハイムのHPに書かれておりました。あの強面(こわもて)で甘いもの好き。鋭い眼光でメイドさんに、「午後のお茶にバウムクーヘン・シュピッツェンを!」と命じていたのかしら・・・。そう考えるとおかしい^^

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「ドイツ史がらみのこと」カテゴリの記事

コメント

アルザスからみた「最後の授業」の話は、80年代初頭の田中克彦さんの仕事で知った記憶があります。
『ことばと国家』(岩波新書)
『言語からみた民族と国家』(現在は岩波現代文庫)
数年前にアルザスに行ったとき、年配のタクシー運転手が、時代によっていろいろな言語を学ばされてきたことを面白おかしく語っていました。
僕らにとっては、不謹慎かもしれませんが、フランス語の練習をするのに便利な土地なんですよね。詰まったらドイツ語に切り替えさせてもらえばいい。(笑)

投稿: takuya | 2007年2月 4日 (日) 11時31分

いつだったかこの話を聞いたとき、なぜか「やっぱり」と思いました。
昔近所のバイエルンなまりのひどいおばちゃんに、「ドイツに来たからには絶対にあの美しいエーザー(どこのことだかわからなかったのですが、後にエルザス→アルザスのことだと判明)に行かなきゃダメだよ、行けぇっ!」と言われましたが、自分たちの国だと思っているようなフシがありました。

投稿: あむ | 2007年2月 4日 (日) 14時42分

ドイツのザールランド州の小さな村から来ていた国際交流員から彼の家の地域もフランスだったりドイツだったり歴史に翻弄された地域だったと話を聞いた事があります。家は現在の国境線に近く、歩いてフランスに買い物に行くと言ってました。国境線は祖父母の時代からでも結構変わっていて、もっと前だとわけがわからないと。

投稿: ろこちゃん | 2007年2月 4日 (日) 22時11分

★takuya さん

いつもありがとうございます。フランス語もおできになるんですか?スゴイ!フランス語はたった1日で挫折した経験アリ。難しいんだもん・・・。フランスへ旅行すると、言葉に困るわけですが(メルシーとかアロ~くらいしかできないので・・・)アルザス地方ではドイツ語が通じるのが嬉しかったです。お食事なども、フランスとドイツが混じっているみたいで、zu Hause な感じがいたしました。今回ご紹介した書籍でも、田中克彦さんのご本が随所で出てきました。問題提起をなさった最初の方のようですね。あと、蓮實重彦さんも出てきました。小学生の頃の私は難しい事情など分かるはずもなく、いい話だな~と思っておりまして、今でもはっきり記憶に残っています。


★あむさん

こんばんは~ そのおばちゃん、あそこらへんもドイツだと思っていたのでしょうか・・・。ユーロが出来た今、国境を越えて買い物するのも珍しくないのでしょうが、まだマルクとフランが存在していた頃は、ちょいと国境を越えて買い物・・・というのは、ちょっと面倒臭かったかもしれませんよね。そんな時代でもアルザスに近い方はよくアルザスへ行ってワインなどを仕入れた、と聞きました。言葉が通じるというのも大きかったのかも。

★ろこちゃんさん

こんばんは~ いつもありがとうございます。ザールラントも歴史に翻弄された地方ですよね。第二次大戦後はフランスの統治下にあったそうですが、1957年にドイツへ復帰したとのこと。1957年といったら、50年前ですもんね。それ以前に生まれた方は、途中でドイツ人になったことになるのかしら・・・こうして考えてみると、ドイツ=フランス間もいろいろあったんだなぁ~と改めて思ってしまいます。

投稿: ありちゅん | 2007年2月 4日 (日) 23時10分

某SNSより来ました。ドイツで生まれて10歳まで育ったものとしては、いろいろブログを読むと懐かしいです。

私も日本の小学校だったか、中学校だかで「最後の授業」を教科書で学びました。

後に大学に入るとフランス語の先生がアルザス出身の方でした。この方が明快に「あれは嘘っぱち、パリ人の自分勝手な見方だ」と批判してました。

その人によれば、アルザスの人にとっては公式な言語がフランス語になろうが、ドイツ語になろうが「たいした違いはない」、当時の人もほとんど気にしていなかった、ということでした。

投稿: tomojiro | 2007年2月 5日 (月) 14時02分

★tomojiro さま

こんにちは。ようこそおいでくださいました。10歳までドイツにいらしたなんて、ペラペラですよね。大学ではフランス語を専攻なさったんですか?ということは3ヶ国語OK?!?

アルザスの方々はあまり気にしていなかったとのこと、慣れていたのかもしれませんね。島国の日本にとっては、国境という意識自体、希薄だったりしますが、ヨーロッパは戦争のたびに国境が変わっていましたもんね。ドイツーフランスだけでなく、ポーランドとの国境も大幅に変わりましたし。オーストリアもずいぶん小さくなりましたし。

このたびはありがとうございました。またお話お聞かせくださいませ。

投稿: ありちゅん | 2007年2月 5日 (月) 18時41分

へえ、蓮實さんも絡んでるんですか。

僕のフランス語は、ですから、アルザスで練習させてもらう程度です。(^^;

アルザスのシュークルートがドイツのザウアークラウトよりおいしい、と思っているのは僕だけ?

そう言えば、元は食器店のお話でしたね。僕はアルザス型のワイングラスがお気に入りで、愛用してます。ドイツみたいなレーマー型の、脚を長くしたようなやつ。

この前アルザスに行ったときの話、ここらへんに書いています。
http://www.tkyabe.com/blog/archives/2005/02/murbach_le_gran_1.html
よろしければご笑覧下さいませ。
(リンクですが、スパム対策はばっちりなので、ご心配なく。(笑))

投稿: takuya | 2007年2月 7日 (水) 00時03分

★takuya さん

こんにちは~ いつもコメントありがとうございます。

>へえ、蓮實さんも絡んでるんですか

1975年くらいに既に指摘なさっていたそうですよ。ちなみに蓮實さんはうちの近所にお住まいだそうで、フランス人の奥様はよく見かけます。ってあんまし関係ないのですが。

ブログの記事のご紹介、ありがとうございました。拝読いたしました^^以前、takuya さんのブログにコメントしようと思ったのですが、サインインしないと書き込めないんですよね。そのやり方がわからず、読み逃げで失礼いたしました。お仕事一段落なさったら、また色々書いてくださいね。アルザスの食べ物って、ドイツ料理がフランス風になったみたいで美味しいですよね。って私も観光客がよく行くお店にしか行ったことはないのですが。陶器がかわいらしく、あちこちのお店の壁に飾られていたのを覚えています。

投稿: ありちゅん | 2007年2月 7日 (水) 12時10分

★takuya さん

追記です♪ ブログでアルザスの地名のことを書いていらっしゃいましたよね。私が気に入っていた食器屋さん(もう閉店しちゃったけど(泣))が仕入れていた窯、Soufflenheim という町にあるそうです。食器の底に刻印が。前半はフランス語っぽいつづりですが、heim はドイツ語由来の言葉ですよね。どう読むんだろう・・・「スフレンハイム」かな、やっぱし。

投稿: ありちゅん | 2007年2月 7日 (水) 12時17分

ありちゅんさん

> サインインしないと書き込めないんですよね。

あれ、そんなことはないはずなんですが…。

> Soufflenheim という町

はは、確かにいかにもアルザス。たぶん地元でスフレンハイムと言っても通じることは通じると思いますけど、ちょっと違う発音もしていそう。

投稿: takuya | 2007年2月 7日 (水) 17時11分

★Takuya さん

TypeKeyIDを使ってサインインしてください、と書いてあるのですが、サインインしなくても書き込めちゃうんでしょか。今度トライしてみますね。

そういえば「h」はアルザス語でも「フ」とは発音しないんでしょか。だとすると、後半は「アイム」?「エイム」?いずれにしてもフランス語はトラウマが・・・(1日で挫折したというトラウマ。高い教材、どうしてくれる!)

投稿: ありちゅん | 2007年2月 7日 (水) 18時32分

たしか小学校の国語の教科書のさいごのほうに、載っていました。授業終了のベルが鳴り、先生がひとこと「おしまいです。お帰り」と言って終わるところが今も心に残っています。しかしどういうわけか、授業の記憶がない。教科書の最後のほうだったし、ひょっとしてやってなかったかもしれません。
個人的にはいい話だと思うので、岩波文庫あたりで出ているとうれしいにゃー。

投稿: なすび | 2007年2月 7日 (水) 19時33分

★なすびさん

え?なすびさんは平成生まれじゃなかったっけ・・・?(などと盛り上がったことがありましたね(苦笑))

小学校の国語でよく覚えているのは、この「最後の授業」と「松井さん」とか「夏みかん」が出てくるお話(あまんきみこさんだったかなぁ・・・失念。)なんです。あと、あむさんも覚えていらっしゃいましたが、モウセンゴケなどの食虫植物が出てくる説明文。なすびさんは同じ教科書を使っていらしたでしょうか?いずれにしても古い話ですよね。

投稿: ありちゅん | 2007年2月 8日 (木) 07時35分

お久しぶりですm(_ _)m

小学生の時、自分は何であの少年があんなにも
フランス語の授業が嫌なのだろう?って疑問に思って
いましたが、中学生になって英語を初めて学んだ時に
おそらく、御紹介なさってくださってる感じなのだろうなぁって
思いましたが、根性なしの自分はそのまま
放置していました。

でも、高校の世界史の先生が「力説」して下さって
事情が理解できました。受験に関係ないから、または
負担だからって世界史をやらない高校生が多いですが
せめて横文字関係の学部は東京外大みたいに世界史を必須に
すべきじゃないかなぁって思いますよね。

投稿: みー | 2007年2月15日 (木) 01時35分

★みーさん

わ~ ご無沙汰しております。遊びに来てくださり、ありがとうございます!高校の先生が力説なさったんですね、すごい!私が習った世界史の先生もいい先生だったのですが、フランス革命の授業の際「ベルバラ」を読みなさい、とおっしゃってました。とっかかりは漫画でもテレビでも小説でも何でもいい。とにかく世界史の面白さを知ってほしいって。私は経済とか地理とか政治とかの授業は苦痛だったのですが、歴史だけは大好きでした。日本史も世界史も。ロマンがありますもんね。特に西洋史の近代が好き。それこそベルバラの世界ですから。

投稿: ありちゅん | 2007年2月15日 (木) 07時53分

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