カテゴリー「ドイツ史がらみのこと」の記事

2007年12月 9日 (日)

ナチスの偽札

 今朝、日経の朝刊を読んでいましたら、「ナチスの偽札 加担を証言」という記事が目に飛び込んできたんです。先日、少しだけご紹介したドイツ映画「ヒトラーの贋札」を見たいと思っていたこともあり、興味を持って読みました。

以下、日本経済新聞2007年12月9日の記事の要約です:

 スロバキア生まれのユダヤ人アドルフ・ブルガー氏は印刷工でした。第二次世界大戦で妻ととも拘束され、アウシュヴィッツに送られてしまいます。捕らえられたユダヤ人たちが貨物列車で輸送され、到着したその駅でガス室送りと強制労働送りに選別されたことはよく知られていますが、ブルガー氏もその光景を目の当たりにしたそうです。印刷工だったブルガー氏は1年半後にザクセンハウゼン収容所に移され、紙幣の偽造を命じられたとのこと。「ベルンハルト作戦」のためです。終戦とともにブルガー氏は解放されますが、収容所で妻が殺されたのは自分のせいだとの自責の念にかられ、心の整理に40年を要したとのこと。その後、ブルガー氏は語り部として当時の経験を人々に語る活動を始めたそうです。敗戦直前にナチスがオーストリアの湖に大量の偽ポンド札を沈めたそうですが、それは1959年に発見され、2000年に引き揚げ作業が行われたそうです。日経のこの記事によりますと(引用させていただきます)『湖底にあった偽札には、「終わらない戦後」を物語るかのように、鮮明な印刷が残っていた』

●ベルンハルト作戦

(以下、日経の記事から引用させていただきます)
『ナチス・ドイツが敵国だった英国や米国経済に打撃を与えるため実行した紙幣の偽造作戦。指揮を執ったナチス親衛隊(SS)少佐、ベルンハルト・クリューガーの名からこう呼ばれた。ベルリン郊外のザクセンハウゼン収容所が舞台となり、総額1億3000万ポンド(現在の価値で推定6千億円以上に相当)を印刷したとされる。偽造作戦に従事させられたブルガーさんの体験は映画「ヒトラーの贋札」になった。』(以上、引用終わり)

映画「ヒトラーの贋札」公式HP

以前もご紹介しましたが、コチラ↑が公式HP。監督は「アナトミー」「アナトミー2」のシュテファン・ルツォヴィツキー。アドルフ・ブルガー役を演じるのは、日本でも隠れた人気者のアウグスト・ディール。見たい、見たいわ、見たすぎる~~

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2007年11月21日 (水)

Karlsbader Oblaten? Karlovaske oplatsky? (カールスバートのオブラ~テン)

 先日、レープクーヘンの台 → オブラート → カールスバートのオブラーテンへと話がつながっていきました(というか、私が勝手につなげております)。久しぶりにカールスバートの「ゴーフル」を思い出し、ちょっと検索してみたところ、次の記事を見つけました。2005年11月の記事なので少し古いのですが、内容が面白いのでご紹介しちゃいます~。「ゴーフル」については一昨日の日記をご覧になってみてくださいね。

Radio Prag の記事 Wem gehören die Karlsbader Oblaten?

 EU内では、伝統ある「ご当地名物」の名称をめぐり、その地で作られたもの以外にご当地の名前を使用することを禁じる動きがあるんだそうです。Dresdner Stollen (ドレスナー・シュトレン)はドレスデンで焼かれたものだけ。Nürnberger Lebkuchen (ニュルンベルガー・レープクーヘン)はニュルンベルクで作られたものだけ。但馬牛は但馬産の牛だけ。宮崎の地鶏は宮崎産の鶏だけ。そんな流れの中、チェコ政府も、チェコのご当地名物をリストアップしたそうです。

 その中の1つが、温泉保養地カルロヴィ・ヴァリ(ドイツ語名カールスバート)の名物、オブラ~テン。チェコ語では Karlovarske oplatky と呼ぶんだそうです。カルロヴィ・ヴァリで作られたものだけが、この名前で呼ぶことができる、との主張です。ところが複雑な事情があったんですね・・・。

 確かにこのお菓子はカルロヴィ・ヴァリが発祥の地なのだそうですが、その製造を手がけていたのはドイツ系住民、すなわちSudetendeutsche (ズデーテン・ドイツ人)だったのだとか。皆様よくご存じだと思いますが、ズデーテンは歴史に翻弄された地方。かつては大勢のドイツ系住民がおりました。以下、ウィキペディアから引用させていただきますと:

ズデーテン地方Sudetenland)は、第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約とサン・ジェルマン条約に従ってチェコスロバキアに割譲された地域。旧オーストリア帝国領の一部で、300万人以上のドイツ人が居住していた。

ドイツでナチスが政権を獲得すると、ズデーテン・ドイツ人党が勢力を拡大した。1938年6月の地方選挙では、ドイツ人地域で9割以上もの得票を得た。こうした中、ナチスの指導者であるヒトラーが併合の意志を強めたため、イギリスの首相ネヴィル・チェンバレンは、二度にわたってヒトラーの説得を試みた。さらに、9月末にミュンヘンで独・伊・英・仏によるミュンヘン会談が開催されたが、ネヴィル・チェンバレンが宥和政策をとってズデーテン併合を容認したため、同地域は10月に併合された。この間、一貫してチェコ政府はズデーテン併合に反対していたが、その国家主権は全く尊重されなかった。また、この併合によって約80万ほどのチェコ人がドイツ領内の少数民族としての立場におかれた。

1945年、ズデーテン地方は再びチェコスロバキア領となり、同地に住む250万人以上のドイツ人がチェコスロバキアの大統領令により国外に追放されることにより、ドイツ人とチェコスロバキア人の混住の問題は解決された。』(以上、引用終わり)

 大戦後にズデーテン地方から追放されたドイツ人の中に、オブラーテン職人も含まれていたとか。彼らは大変な苦労の末、ドイツの国内で再び店を構え、「Karlsbader Oblaten (カールスバートのオブラーテン)」を再び作り始めたんだそうです。ズデーテン・ドイツ人側の言い分は、「これだって立派なカールスバートのオブラーテンだ」。 ・・・分かるような気がします。一方、チェコ側としては、「カールスバート、すなわちカルロヴィ・ヴァリの地名をつけることが許されるのは、やっぱりご当地で作られたもののみ」。

 この記事は2年前に書かれたものなので、その後どのようになったかは分からないのですが、そのうちまた検索をかけてみようと思います。ズデーテン・ドイツ人の問題はとっても複雑で、私なんかが生半可な知識で書いてはいけないテーマです。ただ、オブラーテンの影にこんな歴史があったんだ~と思ってしまいましたので、ご紹介いたしましたm(_ _)m

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2007年11月10日 (土)

Reichskristallnacht (帝国水晶の夜)

 うっかりしておりましたが、昨日は「水晶の夜」事件が起きた日でもありました。ドイツ語では Reichskristallnacht、Kristallnacht、Reichspogromnacht などと呼ぶようです。ウィキペディアから引用させていただきますと:

水晶の夜(すいしょうのよる、独:Kristallnacht) とは、1938年11月9日夜から10日未明にかけてナチス党員・突撃隊がドイツ全土のユダヤ人住宅、商店地域、シナゴーグなどを襲撃、放火した事件である。帝国水晶の夜とも。』

『事件後も警察・消防はドイツ当局から介入を禁じられたため無法状態となり、ナチに賛同した非ユダヤ系国民によるユダヤ人商店・住宅の打ち壊し・強奪にも発展した。破壊され砕け散った窓ガラスが月明かりに照らされて水晶のように輝いたことから水晶の夜(クリスタルナハト)と言われているが、実際には殺害されたユダヤ人のおびただしい血や遺体、壊された建造物の瓦礫等で、現場は悲惨なものだったという。』(引用終わり)

 第二次大戦の映画を見ていますと、この事件が時々出てきます。「水晶の夜」という言葉では出てきませんが、「昨夜、シナゴーグやユダヤ人の商店が焼き討ちされたらしい」という噂話という形であったり、実際に被害を受けた人のセリフが出てきたり。映画を見ている人は、これで時代背景を理解するのだと思います。「Nirgendwo in Afrika (名もなきアフリカの地で)」でも確か、この事件の知らせがアフリカに届く、という形で描かれていたように思います。(記憶がおぼろげ・・・違ったらごめんなさい)

 なお、この11月9日というのは、ドイツにとっては節目となる事件が起きた日なんですね。ウィキペディアからまた引用させていただきますと:
『奇しくもこの11月9日は、ドイツ革命における皇帝ヴィルヘルム2世のオランダ亡命(1919年)、ナチスが起こしたミュンヘン一揆の鎮圧(1923年)、ベルリンの壁崩壊(1989年)の日でもある。事件が収束した翌11月10日は、その反ユダヤ主義がナチズムに影響したとされるマルティン・ルターの誕生日であった。』(引用終わり)

ウィキペディアの引用ばかりで申し訳ないのですが、ドイツ語のこのサイト↓はユダヤ人迫害に関するキーワードが満載。勉強になりますです。と同時に背筋が寒くもなります・・・。もしよろしければご覧になってくださいね → Reichspogrome 1938 (一連のユダヤ人迫害について Wiki より)

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2007年11月 9日 (金)

Der Mauerfall (ベルリンの壁崩壊)

P5070017  1989年11月9日はベルリンの壁が崩壊した日でした。あれから18年も経ったんですね・・・しみじみ。ディーリングルームで株価の乱高下をボーゼンと眺めていたドイツ人ディーラーたちの姿が今でも脳裏に焼きついています。壁の崩壊による大混乱、そして東西ドイツの統一。大変な時期をドイツ人たちはよく乗り越えてきたな、と思います。よくよく考えてみたら、壁の崩壊時に生まれた子供ももう18歳。大学生や社会人になる年頃ですよね。ベルリンの壁も歴史になりつつあるんだなぁ・・・。

写真:以前も載せた画像なのですが、ベルリンの壁崩壊を記念して作られたコイン(たぶん)です。Keine Mauer kann ein Volk ewig trennen. (一つの国民を永遠に隔てることのできる壁などない)と刻まれています。家宝にしようと思いつつ、いつもその辺に置きっぱなし。

Chronik der Mauer (ドイツ語です) ← 壁年表です。

Berliner Mauer Online (ドイツ語です) ← 壁についての記述いろいろ。

ベルリンの壁崩壊(ウィキペディア) ← リンクするほどでもないのですが、分かりやすいので。

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 余談です:上のコインの裏に40 Jahre Bundesrepublik Deutschland (ドイツ連邦共和国40周年)と刻まれています。1949年に東西ドイツが成立したんですよね。先日、ブログで知り合いになった方と某大手予備校Yゼミの名物先生のことで盛り上がってしまいました。世界史のY村先生。語りが非常に面白く、ダジャレのオンパレード。しかも温厚なお人柄で大人気でした。世界史ってこんなに面白い科目なんだ、ということをあの先生の講義で知りました。かなり長い間Yゼミで教鞭を執っておられたとのことなので、あの先生の講義を受けた方、いらっしゃるんじゃないでしょうか?「1949年東西ドイツ成立=ボク(4は「フォーだから「ボ」とも読ませる)の東西ドイツ」というのが今でも頭に残っていて、何かあるたびに思い出します。

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2007年10月 6日 (土)

Westerwaldlied (ヴェスターヴァルトの歌)

 軍歌は全く詳しくないのですが、この歌は知っております。戦争映画によく出てくるのでいつの間にか覚えてしまいました。映画「U・.ボート」や「リリー・マルレーン」でも酔った兵士たちが歌っていたような記憶が・・・。行進曲だけあって威勢がいいメロディです。でも、死の恐怖をお酒で紛らわせようとしている若い兵士たちが歌っているのを見ると、なぜか悲しく聞こえます。YouTube で 「お~どぅーしぇええええなーヴェーーースターヴァルト」のあとに合いの手が入るバージョンも見つけたのですが、その中に大砲をぶっ放すシーンがあったので載せるのは抵抗がありまして・・・。こちら↓は行進しているシーンだけ。

Westerwaldlied (YouTube)

Heute wollen wir marschieren
Einen Neuen Marsch probieren
In dem schönen Westerwald
Ja da pfeift der Wind so kalt

Refrain:
Oh du schöner Westerwald
Über deine Hoehen pfeift der Wind so kalt
Jedoch der kleinste Sonnenschein
Dringt tief ins Herz hinein

Und die Gretel und der Hans
Geh'n des Sonntags gern zum Tanz
Weil das Tanzen Freude macht
Und das Herz im Leibe lacht

Refrain

Ist das Tanzen dann vorbei
Gibt's gewöhlich Keilerei
Und dem Bursch' den das nicht freut
Man sagt der hat kein Schneid

Refrain

 この曲は元々、ヴェスターヴァルト地方(ドイツ中西部)に古くから伝わる歌なのだそうです。この曲を行進曲にアレンジしたのが Joseph Neuhäuser(ヨーゼフ・ノイホイザー、1890-1949)という作曲家だそうです。楽譜が存在しなかったため、この地方出身の女性に歌ってもらい、歌詞とメロディーを書き取ったのだとか。アレンジするにあたり、ノイホイザーはまずこの曲の著作権について調べたそうです。権利を侵害してはいけないと思ったのでしょうね。当時(1930年代)から著作権に敏感だったなんて、さすがドイツ人。手を尽くして調べたそうですが、得られた回答は同じだったとのこと。「非常に古い歌だから、著作権は生きていませんよ」 それを受けて彼は1935年に行進曲にアレンジし、マインツにある音楽関係の出版社に150ライヒスマルクで売却したそうです。第二次大戦中、この曲は兵士の間で大流行りだったとか。「リリー・マルレーン」がヒットする前は、この曲が人気ナンバー1だったそうです。

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2007年9月21日 (金)

Hitler-Witz (ヒトラー・ジョーク) その2

 先日、ちょこっとだけご紹介したヒトラー・ジョーク。これはとっても有名なので、おそらく皆さんご存じとは思います。日本語で読んだことが何度かあったので、見当つけてドイツ語で検索したらすぐ出てきました:

So soll der Arier sein : blond wie Hitler, groß wie Goebbels und schlank wie Göring.

(アーリア人とはかくあるべき。ヒトラーのように金髪で、ゲッベルスのように長身で、ゲーリングのようにスマート。)

 当時の状況からすると、決して笑ってはいけないのですが、でも思わず「うまいっ」と言いたくなるような。ヒトラーは金髪じゃないし、ゲッベルスは小柄だし、ゲーリングは太っちょだし。

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2007年9月18日 (火)

Hitler-Witz (ヒトラー・ジョーク)

 第三帝国については私ったら全くの無知。仕事で出てくるたびに詳しい方に泣きついています(皆様、いつもすみません)。ちゃんと日頃から本などを読んでいればいいものを、本を買い込んでも本棚に入れっぱなし。少しずつでも読まなくちゃ。岩波新書の「ナチ・ドイツと言語 -ヒトラー演説から民衆の悪夢まで-」は面白く読めました。一応ほにゃく者なので、「言葉」は大好きです。この本の中に、「地下の言語」としてヒトラー・ジョークが紹介されていました。第三帝国当時のジョークはとっても有名だということで、ご存じの方も多いと思います。Hitler‐Witz の検索ワードで検索してみました↓この本にも載っているジョークです。

Hitler-Witz (ワーグナー礼賛者として知られるヒトラーが「ニーベルンゲンリング」ならぬ「ニーゲルンゲンリング」を発表することになった、とのジョーク)

Die vier Teile des neuen "Niegelungenringes" werden heißen:
Keingold, Willkür, Niefried und Gettodämmerung.
  
タイトル:
Niebelungenring (ニーベルングの指輪) → Niegelungenring (一度も成功しなかった指輪)
  
4部作の内訳:
Das Rheingold (ラインの黄金) → Keingold (黄金ナシ)
Die Walküre (ワルキューレ) → Willkür (横暴、恣意)
Siegfried (ジークフリート) → Niefried (平和にあらず)
Götterdämmerung (神々の黄昏) → Gettodämmerung (ゲットーの黄昏)
 
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 なかなかキツいジョークですね。思わず唸ってしまいました。既にご存じの方、すみません。人は抑圧されればされるほど、風刺のセンスに磨きがかかるんですね。

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2007年9月17日 (月)

RAF (ドイツ赤軍) その2

 先日、ドイツの秋について、ちょこっとだけ書いたのですが(Deutscher Herbst (ドイツの秋))、その後もネットで調べ物をしていますと、ちょくちょくそれに関連する記事を見かけます。当時(1977年)からちょうど30年という節目であることも大きいのでしょうね。

 いつ書かれたものか分からないのですが、Stern 誌の記事を見つけました。「30年前の“ドイツの秋”で・・・云々」と書かれていますので、今年の記事でしょうね。RAF(ドイツ赤軍)の元メンバーがドキュメンタリー番組の中で証言したそうです。メンバーは当時のヘルムート・シュミット首相や、ゲンシャー外相もターゲットにしていたと。もっとも、警護がかなり厳しくて実行には至らなかったとのこと。ゲンシャーさんの名前を耳にする(目にする?)のは久しぶり。

RAF hatte Schmidt und Genscher im Visier

 物心ついたときは(←ドイツ語を学び始めた時期です)既にコール政権になっていたので、実はシュミット首相についてはあまり覚えていないのです。でもゲンシャー外相は長かったので、よ~く覚えております。ドイツ外相=(イコール)ゲンシャーさん、といったイメージでして・・・。

ご参考までに:

ヘルムート・シュミット(社会民主党(SPD))、第5代連邦首相(1974年~1982年)
ヘルムート・コール (キリスト教民主同盟(CDU))、第6代連邦首相(1982年~1998年)
ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー(自由民主党(FDP) 外相(1974年~1992年)

P9090011 内容とはま~ったく関係ないのですが、うちの壁につかまっていたオンブバッタ。ほかのオスにとられないよう、普段からお目当てのメスにしがみついているんだそうです・・・バッタの世界もタイヘン。彼女をゲットするのに涙ぐましい努力をするんですね・・・(涙)

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2007年8月31日 (金)

Hamster の語源はスラブ系言語だったらしい・・・!

 毎度ハムスターの話題ばかりで失礼いたします。初めて当ブログに来てくださいました方、よろしければハムスター記事 その1ハムスター記事 その2をご覧になってみてくださいね。「ほお袋を持つげっ歯類」が先か、「買いだめ/買い出し」が先かを調べているうちに、ハマってしまいました・・・アホな奴だと思われそう。

 いつもお世話になっている「おそるべきアマチュア」様が検索してくださいました。Etymologie (語源学)のサイト
これによりますと、Hamster はスラブ系言語(ロシア語)由来だとのこと。むむっ スラブ?そう来たか!確かにハムスターってロボロフスキーにしてもしかり、ジャンガリアンにしてもしかり、あっち出身が多いのです。カザフスタンとかシベリアとかモンゴルとか。ナルホド。

 某所でグリム兄弟が編纂した辞書を調べていらした方がいたので、「おお、その手があったか!」と思い、私もネットで検索してみたところ・・・(Nさん、ありがとうございます)

Deutsches Woerterbuch von Jacob und Wilhelm Grimm =Hamster=

 長いので一部だけ。19世紀末から編纂が始まった有名な辞書です。これによると、古いスラブ系の言語 chomĕstar からの借用じゃないか、とありました。やっぱりスラブ系の言葉であったか・・・!なお、この辞典には“borstig wie ein hamster (ハムスターのように怒りっぽい)” “gierig, gefräszig wie ein hamster sein(ハムスターのように欲張りで食いしん坊)”というように使う、という説明も。だけど「買い出し」とか「買いだめ」といった意味は見当たりませんでした。

そして20世紀。1935年に出版されたBrockhaus の独独辞典では、Hamster も hamstern も載っています。ご参考までに:
Hamster:1) ein Nagetier mit Backentaschen: Sinnbild fuer Zusammentragen, Sammeln und Vielfresserei 2) Kornwurm
hamstern:ich hamstere → speichere auf, suche (Lebensmittel oder Geld) einzuheimsen
(Hamster:1)ほお袋を持つげっ歯類。収集したり、ため込んだりする行為や大食いを象徴する言葉 2)穀物につく虫
hamstern:ため込む、(食糧や金を)手に入れようとする

 私の勝手な想像ですが、グリムの辞書が編纂され始めた19世紀の末から1935年までの間に hamstern という言葉が Hamster から派生したんだろうな~と思います。第一次大戦後のインフレの頃かしら・・・?値上がりする前に買っとけ!ということで買いだめしたでしょうから。

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  話は前後しますが、スラブの言葉 chomĕstar がドイツで Hamster になり、この形で英語圏にも伝わったのではないかと思って検索してみたら・・・あった、あった。

Etymology Dictionary =Hamster= 

これ↑によると、1607年に、中高ドイツ語の hamstra から来たとのこと。そしてこのhamstra はロシア語のchomiak とリトアニア語の staras が合わさった chomestoru から来たのかも、と。

コチラのサイトによりますと、1607年に「ドイツのネズミ」ということで、このHamster という言葉が初めて登場したとあります。引用させていただきますね。
Hamster turns up first in English in 1607 as a new name for what had been called the German rat. The name comes from German Hamster, in Middle High German hamastra, which probably was borrowed from Old Church Slavonic chomestoru "hamster" -- the animal is native to southeastern Europe. The Slavic word is perhaps a blend of Russian chomiak and Lithuanian staras, both meaning "hamster."

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 たかがハムスター、されどハムスター。私ったら一人で何やってるんでしょう・・・。アホな奴だと思われてしまいますよね、きっと。昨日今日と仕事もなく、のんびりしながら過ごしました。mit Nickerchen♪ 明日からまたお仕事に入ります。秋は映画祭シーズンでワクワクドキドキ♪

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2007年8月30日 (木)

hamstern (買い占める、買い出しに行く)の語源が知りたい!

 先日のハムスター夫人(買い占め夫人)の続きです。バンケンさんが「ハムスターと買い占め/買い出し問題」を提起してくださいまして、私の頭の中ではいまだにハムちゃんがくるくるくるくるくるくるくる・・・回り続けております。

 日本の検索サイトで「ハムスター」「語源」で検索しますと、いくつかの記述がヒットします。どれも「ハムスター(Hamster)は、ドイツ語のhamstern (買い占める、買い出しに行く)から派生した言葉」となっておりますが、この説が疑問に思えてなりません。やっぱり動物のハムスターが先で、そこからhamstern という言葉が派生したんじゃないかと。ドイツ語の検索サイトでいろいろ検索してみたのですが、語源についてバッチリ記されたサイトは残念ながら見つけられませんでした。

代わりに分かったもの・・・ゴールデンハムスターはシリアに生息していた野生のものが飼いならされたものだそうですが(Wikiによると、初めてイギリスに持ち込まれたのは1938年、ドイツには1948年)、ドイツには昔からもっと大型のハムスターが生息しているということ。その名も Feldhamster 、和名はクロハラハムスター。お腹が黒いからそう呼ばれているみたいです。毛皮目的で乱獲されたり、畑を荒らすということで駆除されたりで、今では数が激減。絶滅の危機に瀕しているそうです。

Feldhamster のサイト (見た目はカワイイですが、気が荒くてペットには不向きらしいです)
ウィキペディアのクロハラハムスター

 「ハムスター」というと、ゴールデンハムスターやジャンガリアンハムスターを連想してしまうのですが、世界にはほかにも多くの種類がいるみたいですね。モルモットの大きさから、子供の手のひらサイズまで。Hamster という言葉は、ほお袋を持つげっ歯類の総称とのことで、ゴールデンが入ってくる以前から存在したようです。先日ご紹介した明治時代の独和辞典(初版の発行年度1896年)にも「ヤマネヅミ(当たらずとも遠からず(笑))」として載っておりましたし、1935年発行のBrockhaus 独独辞典にも「ほお袋を持ったげっ歯類」となっておりました。「買い占め/買い出し」が先か、「ほお袋を持つげっ歯類」が先か。ドイツ語のWiki で Hortung (買い占め)という言葉を調べてみましたら、次のような説明が載っていました:

==============Wiki より引用====================
Unter dem Begriff Hamsterkauf versteht man Kaufvorgänge, die einzig und allein dem Zweck der Hortung, also dem Anlegen von Vorräten, dienen. Hamsterkäufe können oft, müssen aber nicht als massenpsychologische Phänomene auftreten. Heute wird diese Bezeichnung oft abwertend verwendet, da heute insbesondere Lebensmittel ständig verfügbar sind und eine Hortung als unnötig angesehen werden kann. Der Begriff selbst ist auf das Säugetier Hamster zurückzuführen, der Vorräte in den Backentaschen mit sich herumführt.

下線:“Hamsterkauf” (買い出しに行くこと)は、ほお袋に食料をためて動き回る哺乳類のハムスターに由来する。

=============(引用終わり)=====================

 このWiki によると、やっぱり動物のハムスターが先のような気がするんだけどなぁ・・・。Wiki だけで結論付けることはできないのですが、ほかに有力な記述が見つからなくて、よ~わかりません。ゴールデンハムスターが初めてドイツに持ち込まれたのは1948年ということなので、先日ご紹介したポスターのハムスター夫人はゴールデンではないですね。だけど腹黒くないしなぁ・・・どのハムスターだったんでしょう。

・・・それでもやっぱりハムスターってカワイイ。バンケンさん、いろいろ問題提起をしてくださり、ありがとうございます♪

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