カテゴリー「俘虜収容所」の記事

2007年5月17日 (木)

ODE AN DIE FREUDE (バルトの楽園) その2 訳を追加♪

 またまた「バルトの楽園」の話題で失礼いたします。昨日、ハンブルクの日本映画祭で上映されたはずですが反応はどうだったのかしら。検索したところ、このあと7月12日から一般公開されるようですね。どのくらいの規模で公開されるのかは不明なのですが、多くの方が観てくださるといいな、と期待しています。ところで日本語のセリフは吹き替えかしら?それとも字幕?ドイツの方々は吹き替えを好みますよね。そのあたり、どうなっているのかしら・・・

映画 Info (ドイツ語ですが)

上映 Info

同サイトの内容紹介より引用 『1914, inmitten des Ersten Weltkrieges. Rund 4.700 Deutsche werden von den japanischen Heertruppen im chinesisches Qingdao gefangen genommen und als Kriegsgefangene ins japanische Bando Camp nahe Naruto City gebracht. Lagerführer Toyohisa Matsue (Ken Matsudaira), ein Gerechtigkeit liebender Militär, will für Ruhe und Frieden zwischen den Einheimischen und den fremden Europäern sorgen und gewährt den Kriegsgefangenen deshalb viele Freiheiten wie die Herstellung einer eigenen Zeitung oder das Musizieren auf Instrumenten. Das Camp galt daher als das „Paradies für Kriegsgefangene“. Als im Jahre 1918 der erste Weltkrieg für die Deutschen verloren und ihr Heimatland zerstört war, verlieren die deutschen Kriegsgefangenen fernab in Japan jede Hoffnung auf eine Rückkehr. Generalmajor Kurt Heinrich (Bruno Ganz) kennt nur einen Ausweg: Selbstmord. Doch Lagerführer Toyohisa Matsue gelingt es, den gebrochenen Mann davon zu überzeugen, dass nur er seine Leute sicher in ihr Heimatland zurückbringen kann... Basierend auf wahren Begebenheiten erzählt der japanische Meisterregisseur Masanobu Deme in "Ode an die Freude" eine aufwühlende Geschichte, die beweist, dass Menschlichkeit, Respekt und Hilfsbereitschaft unter Kriegsgegnern auch in Zeiten höchster Anspannung möglich sind - mit dem Bando Camp als Symbol dafür. Höhepunkt war der Gesang der deutschen Gefangenen beim Abschied von Lagerleiter Toyohisa Matsue, zu dessen Ehren erstmals "Freude schöner Götterfunken" aus Beethovens Neunter Symphonie auf japanischem Boden zu hören war. Neben Japans Superstar Ken Matsudaira als Lagerführer Toyohisa Matsue und Actrice Reiko Takashima als Utako sind der schweizer Schauspieler Bruno Ganz als Generalmajor Kurt Heinrich und seine deutschen Kollegen Oliver Bootz als Soldat Carl Baum und Kostja Ullmann als Soldat Hermann Lake zu sehen. 』(引用終わり/出典:Buena Vista)

ざざっと訳したいところですが、時間がなくて引用だけですみません・・・。そのうち映画評なども出てくると思います。見つけましたらご紹介いたしますね。

…と書きましたら、おそるべきアマチュア様がお忙しい中、上の解説文を訳してくださいました。僭越ながら私も加筆させていただき、下に貼り付けました。おそるべきアマチュア様、いつもご親切にありがとうございます。

『第一次世界大戦真っ只中の1914 年。およそ4,700 人のドイツ人が中国・青島の日本軍によって囚われ、捕虜として鳴門市近郊の板東収容所に連行される。収容所長松江豊寿 (松平健) は、正義感の強い軍人であり、土地の日本人とよそ者のヨーロッパ人の間に安寧と平和を取り計ろうとする。そのため、捕虜に多くの自由、例えば彼ら自身の新聞の発行や器楽の演奏といったことを許したのである。こうして同収容所は"捕虜の天国" と見られるようになった。

1918年、第一次大戦はドイツの敗北に終わり、彼らの故国は崩壊した。はるか日本で囚われの身となっていたドイツ人たちにとって、帰国は絶望的なものとなる。クルト・ハインリッヒ少将 (ブルーノ・ガンツ)に残された道はただ一つ。それは自殺であった。しかし松江豊寿所長の説得が功を奏し、失意にあったこの少将も、部下を確実に彼らの故郷に帰還させることが出来るのは自分だけだと確信する。

この”Ode an die Freude (バルトの楽園)の中で、日本の名監督出目昌伸が伝えているのは史実である。掘り起こされた歴史、それは敵対する者同士が人間性、尊敬、そして扶助を持つことが、もっとも緊張の高い時であっても可能であることを証明している。板東収容所は、その象徴なのだ。

クライマックスは、収容所長松江豊寿との別れに際し、その栄誉を称えて歌われるドイツ捕虜の合唱だった。ベートーヴェンの第九交響曲から「うるわしき神々の火花よ」が初めて日本の地で響いたのである。

松江豊寿所長に扮する日本のスーパースター松平健、妻うた子の女優高島礼子と並んで、スイスの俳優ブルーノ・ガンツがクルト・ハインリッヒ少将、ドイツ人俳優オリヴァー・ブーツが兵士カルル・バウム、それにコスティア・ウルマンが兵士ヘルマン・ラーケ役で登場する。』

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2007年5月15日 (火)

ODE AN DIE FREUDE (バルトの楽園)

 いつも大変お世話になっている「おそるべきアマチュア」様から教えていただきました。映画「バルトの楽園」がドイツで上映されることになったそうです。いつもいろいろ教えてくださり、ありがとうございます。

ODE AN DIE FREUDE (結局、ドイツ語のタイトルはそのまま「歓喜の歌」になったんですね・・・)

Ⅷ. Japanisches Filmfestival Hamburg (第8回ハンブルク日本映画祭)

同 HP より引用:『Zur Eröffnung des 8. japanischen Filmfestes am 16. Mai 2007 im Streits Kino wird nicht nur Bruno Ganz (u.a. bekannt aus „Der Untergang“) persönlich erscheinen, sondern auch eine hochrangige Delegation der Produktionsfirma Toei bestehend aus dem Präsidenten Herrn Okada, dem Regiesseur Masanobu Deme, der Produzentin Riuko Tominaga sowie der sehr berühmten Schauspielerin Reiko Takashima.』(引用終わり)

この作品が映画祭のオープニングを飾るみたいですね。上映日は5月16日。ブルーノ・ガンツさんがいらっしゃるみたいですよ。さらに監督や東映の社長さん、プロデューサーさん、それに高島礼子さんも。豪華な顔ぶれだな~

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2007年2月 6日 (火)

Berliner (ベルリーナ) その2

カーニバルが近いということで、またまたベルリーナ(←過去ログです)についてちらっと書かせてください。カーニバルの頃、ベルリーナを食べることが多いそうです。そういえばこの時期、チョコレートや砂糖でお化粧した(落書きした)ベルリーナを見かけた記憶があります。

カーニバルが盛んな地域では、カーニバルの土曜日をSchmalzsamstag (あえて直訳しますと「脂の土曜日」Schmalz はラードやヘットなどの脂です)と呼び、この日にFasnachtkrapfen(=ベルリーナ。カーニバルが盛んな南部では、ベルリーナとは呼ばないそうです。詳しくは上の過去ログをご覧くださいませ。地域によって名前が異なります。)を揚げる習慣があるのだとか。でもって翌日の日曜日に食べるのだそうです。

急いで書いたので、支離滅裂ですみません。カーニバルのことは、後でもう少しきちんと調べてUPしようと思います・・・。

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ところでベルリーナ in Narashino。下の記事を「おそるべきアマチュア様」にご紹介いただきました↓ 「捕虜収容所直伝スイーツ」という名前がgut。広まるといいですね♪

捕虜収容所直伝スイーツ「習志野ベルリーナー」

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2007年1月11日 (木)

板東の収容所で作られたというウワサの Thüringer Kartoffelklöße (テュ~リンゲン地方のジャガイモ団子)

先日、習志野俘虜収容所のお献立を久しぶりにUPさせていただきましたら、ろこちゃんさんから大変面白~いコメントをいただきました。詳しくはコチラをご覧ください。

で、捕虜の人たちは収穫したジャガイモで「チューリンゲン地方の団子」を食べたという記録が残っているそうなんです。

Thüringer Kartoffelklöße「テューリンゲン地方のジャガイモ団子」。

ご存じの方も多いと思いますが、ドイツ人はジャガイモが好きです。でもって、付け合せのジャガイモ料理もたくさん種類があります。知り合いのお父様はテューリンゲン地方出身でして、イースターにお邪魔した際、お父様手作りのお団子を出していただきました。それがもー デカいのなんの。作るのが大変なんだそうで(手間がかかる)、「そうしょっちゅうは作れないんだよー特別だからね~」と、かなりもったいぶって出していただきました。そのお父さんの団子はとにかくデカかった・・・

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中にバターで焼いたパン(クルトン)が入ってます♪

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ソースと一緒にいただきます。もちもちしていた記憶が・・・(美味でございますぅ~と言うほどではないような。)

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ご参考までに作り方を紹介させてくださいね。ドイツ郷土料理の本に載っていたレシピです。

<テューリンゲン地方のジャガイモ団子>

●材料

ジャガイモ(生)1.5キロ
前日に茹でておいたジャガイモ 500グラム
牛乳 250cc
塩 大さじ1
前日のゼンメル(=ブレートヒェン、丸いパンのことです)
バター 大さじ1

●作り方

1 生のジャガイモの皮をむき、下ろし金ですりおろす。下ろしたジャガイモは水にさらす。

2 1のジャガイモを麻布で包み、よく絞る。絞った汁も捨てずにしばらく置き、デンプンが沈殿したら上ずみを捨てる。

3 前日に茹でておいたジャガイモをすりつぶし、加熱した牛乳を注いでよく混ぜる。

4 2の水分を絞ったジャガイモ、上澄みを捨てたデンプン、3のジャガイモを合わせて塩を加え、よく練る。

5 ゼンメル(パン)をさいの目に切り、バターでこんがり焼く。

6 4の種を丸め、途中で中に5のパンを数個入れ、成形する。

7 大きな鍋に水を入れて沸騰させ、6の種を静かに入れて とろ火で静かに茹でる。加熱時間は15~20分。

8 茹で上がったら水分を切り、出来上がり♪ Guten Appetit!

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2007年1月10日 (水)

習志野俘虜収容所 ある日のお献立 (その5)

この記事は昨年9月に書いていたのですが、もう少し調べよ~と思っているうちに、ついつい塩漬けにしてしまいました。以前UPしたお献立の記事の「ケーニヒスベルガー・クロプセ」を作ってくださった方がコメントしてくださいました。それについつい気をよくした私。「おお、そうだ、書きかけの記事があった!」と思い出し、UPさせていただきました。長く本場のドイツ料理を食べていない私がエラそうに書くのもおこがましいのですが。

<初めてoder 最近このブログに来てくださいました方へ>
昨年、ドイツ兵の捕虜収容所を舞台にした映画にかかわる機会がありました。このブログでそれについて触れましたところ、この分野に大変お詳しい方が、当時 千葉県の習志野にあった習志野俘虜収容所のメニューをご好意で送ってくださいました。私は全くの素人なのですが、食いしん坊というだけで、記事を書かせていただきました。詳しくはコチラを。下のほう(古い記事)にいろいろと書かせていただいております。

1月9日(水曜日)
Tomatensuppe
Leberknödel mit Bayrisch Kraut
Pellkartoffeln

<Tomatensuppe (トマトスープ)>
トマトの水煮か何かを使ったスープでしょうか。何となく想像つきますよね。でも第一次大戦当時、トマトって日本で一般的だったのかしら・・・

・・・そう思い、ケチャップで有名なカ●メのHPを覗いたら、ありました。
トマトの歴史
明治時代には栽培が始まったものの、当時はイマイチ評判がよくなかったみたいですね。あの青臭い臭いがダメだというのはよく聞きました。このサイトによりますと、1903年にはトマトソース(今のトマトピューレ)が、1905年にはトマトケチャップとウスターソースが製造開始された、とありますから第一次大戦当時は入手可能だったでしょうね。もしかしてカ●メのトマトピューレを使ったのかしら・・・(すみません、私の勝手な想像です。根拠はありません)

P1090033<Leberknödel mit Bayrisch Kraut(レーバークネーデル、バイリッシュ・クラウト添え>
レーバークネーデルは、レバーの入ったお団子。バイエルンやプファルツ、チロル地方で有名だそうです。ドイツ料理屋さんの定番メニューですよね。右の写真は一例です。レシピを幾つか見てみたのですが、これが一番シンプルでした。主な材料は牛のレバー。これを牛乳に浸したパン、タマネギ、塩コショウと一緒に肉挽き器などで挽き、つなぎに玉子を入れて丸めます。この団子を煮立てたコンソメに落とし、火を通して出来上がり。後日、くわしいレシピをUPさせていただきますね。収容所で出されていたクネーデルがこれと似ていたかどうか私には分からないのですが(トマトスープのあとに再び汁物が出るはずないですよね)、イメージということでご了承くださいませ。添え物もあったし、油で揚げるタイプだったのかも。

バイリッシュ・クラウトは前にも書かせていただきました。極細の千切りにしたWeisskohl(キャベツ。向こうのWeisskohl は日本のキャベツより肉厚だと思います)をベーコンやタマネギと共にラードでいため、砂糖・酢・塩を加えてブイヨンで蒸し煮にしたもの。Sauerkraut(ザウアークラウト)にも似ていますね。でも、塩漬けされていないキャベツを使うようです。

<Pellkartoffeln(皮付き塩茹でジャガイモ)>
Wikipedia (写真です) によると、小ぶり~中くらいの大きさのジャガイモを皮付きのまま茹でたものを指すようです。皮をむかずに茹でることから、栄養分や味が損なわれないんだそうです。にゃるほど。その際、煮崩れしにくい、固めの品種(日本でいうとメークイーンかしら)を使うのがポイントとか。ちなみに、普通の Salzkartoffeln (塩茹でジャガイモ)はコチラ

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2006年11月13日 (月)

習志野ベルリーナ (権兵衛さま撮影♪)

いつも当ブログにお越しいただき、味わい深いコメントをお寄せくださる権兵衛さまが、習志野ベルリーナーをお店で撮影してきてくださいました。

じゃじゃーん!これが写真です。

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とっても美味しそう・・・一番上が、ラズベリージャム入り、二番目がつぶつぶピーナツクリーム入り(+シナモンシュガー)、三番目がチョリソー入り(生地にフライドオニオン入り)だそうです。もしかして、本家のお味より日本人の口に合うかも・・・ 広まって名物になるといいですね♪

権兵衛さま、ご親切にありがとうございました。バッチリ届いておりました^^

★今日、初めて当ブログに遊びに来てくださいました方

ご来訪ありがとうございます。「習志野ベルリーナー」、語り始めると長くなってしまうのですが(笑)、千葉県の習志野にかつてあった独軍俘虜収容所で、ドイツ軍俘虜(捕虜)たちが作って食べていたという、ドイツの揚げパンです。ドイツにいらした方はお詳しいと思いますが、Berliner Pfannkuchen のことです。詳しくは、カテゴリーの「俘虜収容所」をご覧いただければと思います^^ ありがとうございます。

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2006年10月 7日 (土)

習志野収容所とベルリーナ

いつもお世話になっている おそるべきアマチュア様 から教えていただきました。第一次大戦中、中国の青島から連れてこられ、習志野俘虜収容所に収容されたドイツ兵たちが食べていたベルリ~ナに関するニュースが放映されるそうです。
10月10日(火)18時10分~ NHK「首都圏ネットワーク」

コチラ (番組案内)

首都圏にお住まいの方、ご覧になってみてくださいね♪ 首都圏以外の地域にお住まいの方には、地方限定のお話ですみません・・・

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2006年9月18日 (月)

習志野俘虜収容所 ある日のお献立(その4)

久しぶりに習志野収容所の当時の献立表を眺めておりました。そしたら「げげっ」と驚くことが。先日、ザリガニっぽいエビという記事でご紹介いたしました、Leipziger Allerlei という料理が献立表に載っているじゃないですか!これ、メジャ~なお料理だったんですね。ビックリです。このザリガニの代わりに何を入れたんでしょう?車エビかな?ボタンエビかな?甘エビかな?おっと、おすし屋さんと間違えた。今日、初めて当ブログに来てくださいました方、よろしければこちら♪の下のほうをご覧くださいまし。

私ったら新しく「俘虜収容所」というカテゴリーを作っちゃったりなんかして・・・

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Sonntag 8.12.

Suppe
Roastbeef
Leipziger Allerlei
Kuchen
Kartoffeln
Aufschnitt

12月8日 日曜日:

スープ(これだけでは、何のスープか分かりませんね。残念!私が好きだったLinsensuppe(レンズ豆のスープ)だったりして・・・。

ローストビーフ(すごいっ!豪勢です。)

ライプツィガー・アラーライ:Allerlei は辞書では「混合物」「ごたごた」という訳が載っていました。Leipziger Allerlei も小学館の独和に載っています。「エンドウ、アスパラガス、ニンジンなどの入ったライプツィヒ風の野菜煮込み料理」。
キッチン辞典ですと:Mischgemüse aus Spargel, jungen Erbsen, Karotten und Lorcheln.  Statt Spargel wird heute oft auch Blumenkohl beigefügt. (アスパラ、グリンピース、ニンジン、Lorchel(キノコの一種)で作られた野菜料理。今日ではアスパラガスの代わりに しばしばカリフラワーを使う。)レシピを見ますと、塩茹でしてエビの香りを移したバターであえただけみたいなんですが・・・。美味かどうかは不明です。12月のメニューですから、新鮮なグリンピースは手に入らないはず。瓶詰めを使ったんでしょう。案外、瓶詰めも収容所内で作られたものだったりして・・・。

ケーキ(これだけでは、何のケーキか分からず残念。私の好きなSachertorte(ザッハートルテ)だったりして・・・。もちろん、mit Sahne (ミット・ザーネ:生クリームつき)でね! Schwarzwälder Kirschtorte(シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ)でもオッケ~よ♪・・・って、ありえないか。Torte と書いてあるわけじゃないので、どちらかというと Apfelkuchen (アプフェルクーヘン)みたいな焼き菓子かしらん。)

ジャガイモ(調理方法は不明です。できればバターとミルクたっぷりのマッシュポテトがいいなぁ・・・。だけどケーキの後にジャガイモ?きっと順不同なんですね(汗))

アウフシュニット(薄切りのハムやソーセージの盛り合わせのことです。豪勢ですね。日曜日だからかな?)

Leipziger_allerlei_3
先日のとは別の料理本にも載っていました。これは庶民的な郷土料理の本なので、先日載せた写真の料理よりシンプル。オリジナルのレシピにはFlusskrebs(ザリガニ)ちゃんが入っているのですが、検索してみると、入っていないバージョンも見かけました。なお、このお皿は中華皿にも見えますが、たぶん Meißen でしょう。茶色いシワシワのキノコ、毒キノコみたい。

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2006年9月11日 (月)

「青島から来た兵士たち」

9月11日 追加です:
先ほど、この本を執筆なさった高知大学教授の瀬戸先生からメールをいただきました。ブログに来られる皆様によろしくお伝えください、とのことです。丁寧なメッセージをいただき、恐縮してしまいました。

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前から読もう、読もうと思いながらなかなか時間がなかったのですが、予定がぽっかり空いてくれたお陰で読むことができました♪ 

「青島(チンタオ)から来た兵士たち」 高知大学人文学部教授 瀬戸武彦氏 著、同学社

ドイツによる青島占領の経緯(1898年 独清条約締結により、青島および膠州湾一帯を99ヵ年租借することに。)、当時2000名ほどの住民が細々と暮らす小さな村だった青島にドイツが総督府を設立し、鉄道、病院、兵営、港湾、教会、ホテルなどを建設して「要塞都市」にまで拡大した経緯(青島麦酒会社や屠畜場もあったそうな。)、日独戦争の詳細、日本の俘虜収容所へ俘虜が連れてこられた経緯などが分かりやすく解説されています。軍事関係に疎い私でも無理なく理解することができました。

後半の「俘虜群像」の章では、日本に影響を与えた俘虜たち47名が載っています。「へぇ~ この人もそうだったんだー」と思う人も多く、目からウロコが落ちました。

「二つのサッカー国際試合」という箇所はとても興味深いものでした。俘虜チーム対地元の生徒たちのチームで1919年に広島と名古屋で行われた日本初の「サッカー国際親善試合」。当時の新聞記事や写真と共に、ほほえましいエピソードが紹介されています。私が一番感動したのは、クライバーという俘虜が帰国して作ったサッカークラブが現在も存続しており、浦和レッズのブーフヴァルト監督もそのチーム出身だということ。ね、感動するでしょ。

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慣れない異国の地で囚われの身となった俘虜たちの心労たるや、相当なものだったと思います。だけど彼らはそんな状況下でも腐ることなく、前向きに頑張っていたんだなぁ~と改めて思った次第です。日独交流の原点が、こういったところにもあったんですね。

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2006年8月28日 (月)

習志野収容所にカレーが・・・

「ドイツ兵士の見たニッポン」に、当時のお食事のメニュ~が載っておりました。その中身についてブログ上で書くことを著者のおそるべきアマチュア様が快く承諾してくださいまして、これまで幾つか載せさせていただきました・・・

・・・で、「ん?」と思ってしまったメニューがあります。ほとんどの献立が伝統的なドイツ料理なのに、Curry mit Reis の日があるのです~。これって「カレーライス」???

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今でこそドイツ人は本場のインド料理も食べますが、20世紀初頭にカレーライスを食べていたのかなぁ? ドイツにいた頃、わざわざ「ハ●スのバーモントカレー」を送ってもらい、日本風のカレーライスを大鍋に作ってドイツの方々にご馳走したことがありました。「ドイツ人カンゲキ!(古っ)」って反応が返ってくるかなーと期待していたら、「なんでライスとジャガイモが一緒になるの?(主食が重なるのはヘンだ、という発想みたいです)」「ありえなーい、これ辛すぎー」「・・・・・(だんまり)」と、反応はイマイチでした。ホームステイした田舎のお宅だったからかもしれません。各国の料理に慣れた都会のドイツ人だったらカンゲキしてもらえたかも。

もちろん、Currywurst(カリーヴルスト)とか、カレー味のスープなど、ドイツでもカレー味は人気があるのですが、私たちが食べるような「カレーライス」は、ドイツでは見なかったような気がします。インド料理屋さんに行けば、インド風カレーに Langkornreis(インディカ米)を添えた料理は食べられますが・・・

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前置きが長くなってしまったのですが、習志野収容所の俘虜の方々が食べたカレーってどんなだったのでしょ?そもそも、第一次大戦の頃の日本にカレーライスが存在したのでしょうか?素朴な疑問と好奇心がムクムク・・・

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ウィキペディア「海軍カレー」の項目より:

日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに白米を食べさせることとなった帝国海軍・横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用、海軍当局は1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載し、その普及につとめた。肉は主に牛肉、太平洋戦争時には食糧事情の変化で豚肉も使われた。その後、復員した兵士がこれを広めたため、カレーライスは全国に広がった。

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げげっ! カレーライスの普及に軍隊が貢献していたとは・・・。知りませんでした。日露戦争当時、とありますから 当然第一次大戦の頃にはカレーライスが存在していたことになりますよね。ってことは、ドイツ軍の俘虜たちもカレーライスを食べて、カンゲキ!していたのでしょうか・・・ お詳しい方がいらっしゃいましたら、お教えくださいまし。 

そうだ、今夜はカレ~にしよう!

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