昨日から延々と自分の翻訳チェックでした。納品前に、ビデオを見ながら不自然な箇所はないか、とか 日本語がおかしくないか、とか 漢字の間違いや変換ミスはないか(←お得意のミス)を見るのですが、延々とやっていますと 頭がボーーーーーっとしてきます。昨夜はそれほど夜更かししなかったのですが…今度こそ、あとからミスが発覚!ということがありませんように(←毎回そう思っているのですが)。
先日、習志野俘虜収容所のお献立についての記事で「香辛料って手に入ったのかなぁ~」と書きましたところ、ろこちゃん様がコメント欄でいろいろ教えてくださいました。ありがとうございます。ろこちゃん様が快くOKしてくださいましたので、記事のほうにコピーさせていただきました。面白いです!
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香辛料は手に入っていたようです。「ディ・バラッケ」3巻と「どこにいようとそこがドイツだ」に1918年度の義援金の使途として詳細を載せているものがあります。義援金で香辛料や野菜・肉・ソーセージ・魚・牛乳・飼育用豚・・・など購入している他に「東京救援委員会の仲介による食糧調達」という項があり、
A.燻製品と脂(ベーコン、ハム、ラード、チーズ
B.乾燥果実(梨、プラム、杏、林檎、桃)
C.豆(グリンピース、インゲン豆)
D.魚(サージン、鮭、塩にしん)
E.香辛料(胡椒、肉桂、ケーパー、カレー、丁子、ローリエ、ナツメグ、ヴァニラ)
F.その他(魚缶詰、マカロニ、コーヒー、ザウアークラウト)
G.器具(レンジ五徳、料理用手斧)と記載されています。
救援委員会というのは、当時日本に住んでいるドイツ人、オーストリア・ハンガリー人などを中心に、元の仲間を支援するために東京・横浜・神戸で設立されていました。どこの収容所にも義援金と共に俘虜たちに希望を聞いて現物などが送られていました。
ついでに、収容所での料理・・「板東」ではどうだったのかなぁともう一度「ディ・バラッケ」にざっと目を通してみました。新聞の編集者たちは料理に興味がなかったのか献立の記載はほとんどないのですが、ひとつ見つけました!「鶏がらフリカッセスープとでかいポーク・ステーキのザゥアークラウト添え」です。(フリカッセスープってどんなのでしょう?)
夏になると、仲間がアイスクリーム、フルーツアイス、レモネードを作って売っていて繁盛しているという記事もありました。
下士官以下は自分たちで食事当番をしていたので、ジャガイモの皮むき当番について、とても嫌がっています。人数が多いので朝からずっとしなければいけなかったようですし、皮が厚いと仲間の料理の責任者から注意を受けたようです。
将校たちはお金を払って将校用レストランで食べるのが普通だったようなので、きっと食事の内容も良かったと思いますよ。ドイツ人俘虜の経営するレストランの他に日本人の経営するものもありました。
これらは「板東」での話ですが、たぶんこうした待遇の決まりはどこも似たようなのではないのかなぁと思います。
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こうして拝見してみますと、豪華ですよね。香辛料も実に様々。胡椒(Pfeffer)、肉桂(Zimt)、カレー(Curry)、月桂樹(Lorbeer)、丁子(Nelke)などは日本でも問題なく入手できるでしょうが、ケーパー(Kapern)やナツメグ(Muskatnuß)、バニラ(Vanille)などは そう簡単には手に入らなさそう・・・。でも、これらはドイツ料理やお菓子に不可欠のものですよね。義援金が集まったとはいえ、調達するのも大変だったのでは。
「鶏がらフリカッセ・スープ」って何だろう?フリカッセ(Frikassee)は、私もいろいろなところでご馳走になりました。ホワイトソースで白っぽい肉(鶏肉、子羊、子牛など)を煮込んだ料理。語源はフランス語。ドイツ人の友人は、「これは鶏肉の料理だから太らないのよ」と言いつつ、脂肪分40%くらいの生クリームをドボドボ入れていました。牛や豚の料理より太りそう・・・。「フリカッセスープ」は、フリカッセに水を加えて伸ばし、スープにしたものだったりして・・・
・・・ということで ろこちゃん様、ありがとうございました(^^)
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