カテゴリー「DDR(ドイツ民主共和国、旧東ドイツ)」の記事

2007年5月 8日 (火)

懐かしのベルリン

 この連休はずっと家にいたのですが、最終日は所用で実家へ行ってきました。昨年、何冊かアルバムを持ち帰って古い写真をブログに載せちゃいましたが、まだあったんですね。私もすっかり忘れておりました。「開かずの間(どこのお宅にもあるでしょ、開けると物がどどどーーーっとなだれ落ちてくるようなお部屋が。)」にまだアルバムが何冊か・・・。

 ベルリンを訪れた人なら誰もが行く場所なので、私と同世代の方々は同じような写真をお持ちだと思ったのですが、懐かしいのでついつい載せちゃいました。冷戦時代のものです。

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壁崩壊前のブランデンブルク門。ACHTUNG!Sie verlassen jetzt West-Berlin (注意!西ベルリンはここまで)という有名な立て看板。「ご注意!ここであなたは西ベルリンを出ることになりますよ!何があっても知りませんからね!」といった含みのある表現です。学生時代に初めてここを訪れたときは驚きました。そういえばここはいつも人だかりができていましたよね。

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国境付近の検問所、チェックポイントチャーリー。アメリカ、フランス、イギリスの管轄化にありましたよね。この写真からは物々しさは伝わってこないのですが、とにかく小心者の私はビクビクしていました。(アルバムには、どの検問所か書いていなかったのですが、別のアングルで撮った写真を日記に載せていらっしゃる方に教えていただきました。同じ建物ですね。焼きそうせいじ様、教えてくださり、ありがとうございました。)

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同じくチェックポイントチャーリー。目をこらして見てみると、向こうのほうにペプシコーラの看板が。アメリカっぽい。最近の写真を見ますと、一部だけ残されているみたいですね。

P5060027_1チェックポイントチャーリーにあった博物館の入場券。アルバムにべったりくっついて(涙)剥がれなくなってしまいました。裏面にはRivarol という人の言葉が:
Die Politik gleicht der Sphinx der Fabel.  Sie verschlingt alle, die ihre Raetzel nicht loesen.  Rivarol. (政治はスフィンクスに似ている。謎が解けなかった者をすべて飲み込んでしまうのだ。)

Musium

博物館の中の展示物。有名な写真です。 焦土と化したベルリン。このあともベルリンの苦難の道は続きましたね。

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西ベルリン内にあったソ連戦勝記念碑。ここはソ連の管轄下でした。ネットで最近の様子を見ましたが、もう鉄条網なんてないんですね。当たり前といえば当たり前だけど・・・。当時は一種異様な雰囲気がただよっていたような記憶があります。近寄りがたかった・・・。

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こういった十字架に胸が痛んだものです。「DDRに7年間拘束されたのち、逃亡中に東ベルリンで射殺」

 初めてベルリンを訪れたのはこれより前でしたが、それまで書物を読んだり、話を聞いたりして想像していたものより実際の雰囲気ははるかに物々しく、強い衝撃を受けました。同じ思いをされた方も多いと思います。かつて1つの都市だったところに2つの体制が存在し、しかもその間は非情な壁で仕切られているという不自然な状態。そんな現実をまざまざと見せつけられたように感じました。西ベルリンでも東ベルリンでも友人宅にお世話になったのですが、どちらもその状態に不思議と慣れてしまっているような印象も受けました。20年前の話。大昔とも言えますし、つい最近とも言えますし。

 ちょうどこの時期、東ベルリンで歌が流行っていたのを今思い出しました。全部は覚えていないのですが、サビの部分で「Berlin, Berlin.  Die Mauer muss weg!」という歌詞が入るのです。どなたか覚えていらっしゃいませんか?もとは西側の歌だったんでしょうか・・・?東ベルリンの友人がこの歌を聴かせてくれて、「Das stimmt! Sie haben recht! (そのとおり!彼ら(=歌手たち)の言うとおりよっっ!」と。こんな歌を聴いてていいんだろうか、密告されてたらどうしよう・・・と真剣に心配しました。

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2006年10月14日 (土)

ドレスデン逍遥

Photo_17お仕事でドレスデン空爆について調べることがあり、とりあえずこの本を注文して読みました。

「ドレスデン逍遥」 
川口マーン恵美 著
草思社

1945年2月のドレスデン爆撃を経験した人々の貴重な証言、空爆を行った英空軍の交信記録(ごくごく一部ですが)、荒れ果てた空襲直後のドレスデン市内の写真など、貴重な資料が盛り込まれ、一晩で読んでしまいました。

さらにアウグスト強王の話や聖母教会建設~崩壊~再建にまつわるエピソード、栄華を極めた絶頂期から共産圏時代の過酷な日々など、ドレスデンの歴史に触れることができます。とにかく写真が豊富です。美しいかつての姿も、変わり果てた痛々しい姿も、そして再建されてよみがえった今の姿も。

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で、この本を読んで私が反省したこと・・・「DDR 時代のドレスデンは真っ黒だった」なんて悪口書いてごめんなさい!!! 東西ドイツに分断され、SED (ドイツ社会主義統一党)一党独裁になってから、ドレスデンは本当にいばらの道を歩まされたようです。市民は何とかかつての姿を取り戻したいと努力したようですが、政府は「再建」する気など さらさらなかったようです。

『そもそも、戦後のドイツ民主共和国(東ドイツ)政府は、バロック建築の復元などにはまったく乗り気ではなかった。東ドイツは最初から最後までSED (ドイツ社会主義統一党)の一党独裁の国であったが、常に彼らが理想としていたのは、町の中心にはスターリン好みの巨大な多目的ホールやスタジアムがそびえ、郊外には巨大構想住宅の立ち並ぶといった風景であった。実際にその頃、そんな殺風景なアパート群は、国の復興とともに、東ドイツの大都市のあらゆるところで建設され始めていた。インテリも労働者も、みなが一様にその狭くて安っぽいアパートに住むことが、共産主義精神の実現であったのだ。それに比してバロック建築などは何の役にも立たないばかりか、王政という過去の遺物、つまり、悪しき階級社会の象徴であり、高邁な共産主義の思想を汚染するものとして位置づけられていた。』(「ドレスデン逍遥」より引用)

市民は何とか過去の建築物の再建に取り組もうとしたそうですが、ことごとく政府から嫌がらせを受けたとのこと。一歩間違えれば、わずかに残った残骸も爆破され、跡形もなく片付けられ、そこにチャチい建物が建設されていたのかもしれません・・・よかった、それだけは避けられて。

そんな大変な中、一つずつ建造物が再建されていったわけでして、クリーニングやメンテナンスまで手が回らなくて当然。真っ黒け、だなんて悪口を書いてしまってごめんなさい。後で書き直しておきます・・・。

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2006年9月 5日 (火)

懐かしのDDR (その7 壁の崩壊)

私のブログに遊びに来てくださり、ありがとうございます。こうして古い写真を十数年ぶりに眺めてみますと、出てくるのはため息ばかり。

「あぁ・・・あの頃は若かった。お肌がピチピチ」

・・・ではなく、

「あぁ・・・DDR は矛盾だらけの国だったけれど、息の詰まるような監視と規制の中、やり場のない怒りを抱えながらも みんなそれなりに工夫して前向きに頑張っていたんだなぁ・・・」

お~っと、すみません。ついつい感傷的に。DDR話にお付き合いくださいました方、あらためて御礼申し上げます。「な~んだ、この話なら知ってるよ~」と思われた方も多いと思います。我慢して読んで下った方、ありがとうございました。

DDR では、どこへ行っても親切にしていただいたので、悪い印象は全く持っておりませんでした。当局のやり方には「?」とか「!?%\#*?+@....!!!」と感じることが多かったのですが。壁が崩壊したとのニュースは、当時勤めていたドイツ系企業のモニター(ロイター)で知りました。目頭が熱くなったのをよく覚えています。

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壁の崩壊 (過去の記事) ←ここでも書かせていただいたのですが、1989年10月に旅行した際、ドイツでは東西とも様子が一変していました。テレビでは連日、東から西へ逃げる人々の様子が映し出されていました。その時点では、まさか1ヶ月もしないうちに壁が崩壊するなどと誰も思っていなかったはず。それでも皆、「これはただ事じゃない」と感じていたようです。

ライプチヒやベルリンでは毎週月曜日に民主化を求めてデモが起こるようになりました。当局は最初、平静を装っていたようなのですが、さすがに無視できなくなったようです。


デモの拠点の一つとなった、ベルリンのゲッセマネ教会。「不当に逮捕された者たちに代わって祈ろう」と書かれた横断幕。この日は集会があった翌日で、ロウソクを灯した跡があちこちに見られました。

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1989年10月17日付けの新聞の切り抜きもアルバムに貼ってありました。上の写真と同じ日の記事です。

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長々と DDR 話にお付き合いくださり、ありがとうございました。これでおしまいです。最後まで読んでくださいまして、感謝いたします。

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2006年9月 4日 (月)

懐かしのDDR (その6 お店)

映画「グッバイ、レーニン!」や「トンネル」でも店の様子が映されたりしましたが、DDR の物不足は深刻でした。ベルリンは首都というメンツもあり、地方都市に比べるとまだ“マシ”ではありましたが、それでも「買いたい!」と思うような商品はありませんでした。この記事を読んでくださっている方の中にも、東ベルリンのデパートなどに行かれた方がいらっしゃると思います。とにかく陳列棚が寂しかったですよね・・・

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何でも画一的なDDR は、スーパーマーケットの造りもよく似ていました。スーパーマーケットは “Kaufhalle” と呼ばれ、下のような店構えになっていました↓

Greifswald
これはグライフスヴァルトの絵葉書の一部を拡大したものです。(当時、白黒の絵葉書が主流でした~!カラーの絵葉書は色が悪くて紙が薄く、しかも高い。) Kaufhalle の文字が見えます。そして向かって右に「HO(Handelsorganisation=国営小売商店)」のロゴ!!中心に街灯が入ってしまっていますが、HO のロゴが見えるでしょ。コレです、コレ!小売店にことごとくついていたロゴ。垢抜けなくて、なんとも滅入るロゴでした。

Ddr
スーパーマーケット以外では、こうした小売店もありました。店は確かにありましたが、中身がありませんでした(泣) Textilien という文字が見えます。衣料品店のはず。

Berlin_
驚いたのが、このベルリンの品揃え。1989年ごろに新しくできた一角にあった店だと思います。そこに案内してもらい、驚きました。DDR とは思えないほど品物が豊富で。

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<Intershop インターショップ>

Intershop_2 DDR の人たちにとって、とっても残酷だったインターショップ。魅力的な商品がてんこもりなのに、西ドイツマルクやドルといった外貨でしか買えないお店。インターショップについて 過去の記事です 「堕落した資本主義から守るために壁を築いた」はずなのに、自らがその壁の内側に資本主義の象徴のような店を作ってしまう。この矛盾を当局はどうやって国民に説明したんでしょうね。

・・・と怒ってみたものの、実は私ったら1989年に行った際、ちゃっかりインターショップで買い物をしていました・・・。ご丁寧にもボールペンで何を買ったかまで書き残しています。DDR の友人の前では買いにくかったので、どうも89年に行った際、最後の日に一人でベルリン見物したときに買ったみたいです。

ディオールのマニキュアが17西ドイツマルク。当時のレートで計算しますと、1200円程度。なぜ西側より安い価格で提供できたのか、そのからくりは分からないのですが、とにかく外国人観光客がブランド衣料品やブランド化粧品をインターショップで買い込んで、外貨を落としていました。

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懐かしのDDR (その5 マイセン)

マイセンへ初めて行ったのが1986年の7月。それから数回 遊びに行きました。マイセンは歴史の重みが感じられる、それはそれはすばらしい古都なのですが、残念なことに手入れがされていなかった・・・ ロマンチック街道など西ドイツの諸都市が、いかにお金と人手をかけて「中世らしさ」と「現代的な清潔さ」を両立させているかを痛感しました。また、住んでいる人々の努力だけではどうしようもない面もあるんだな、ということも。

Dom_zu_meissen
アルプレヒツブルク城と大聖堂の方向を示す表示板。きっと今では綺麗に手入れされていることでしょう。

Meissen_dom_
大聖堂の正面。真っ黒・・・。

Meissen
高台からお城を望む。最新の旅行ガイドなどを見ますと、お城(尖塔のある大聖堂以外の部分)は真っ白に塗られていました。当時はこんなに手付かずの状態でした・・・

Meissen_
たしかに中世そのものだったのですが、手入れが行き届いている西ドイツに比べると、やはり雰囲気は違います。同じドイツなのに、どうしてこんなに違うの?と悲しくなったと同時に、社会主義国の現実を目の当たりにして愕然としました。

Propaganda
町で見かけたスローガン。「社会主義が強固なものになれば、より平和になる」といった意味で、あちこちで見かけました。こうしてみると、手書きっぽいですね。スローガンを撮影するのはご法度だったはずなのですが、こっそり撮ったのかな。

マイセンに長年住んでいらしたお年寄りが、「せっかくの古都なのに、修復されないままで悲しい」とおっしゃっていました。どの人に会っても、マイセンを誇りに思っている様子が伝わってきたのですが、同時に「もっと手を入れてほしい、昔の姿をよみがえらせてほしい」と願っている様子も伝わりました。今では今まで以上に観光名所となりましたから、恐らく修復も進んでいることと思います。

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大聖堂の入場券
1マルク5ペニヒでした。

P8310029_1 

大聖堂のオルガンコンサート
お値段は50ペニヒ!

P9040005_1 マイセン陶器の工場。見学するのに1マルク必要でした。DDRのあちこちで見られた、「VEB(Volkseigenerbetrieb、国営企業)」の文字が見えます。


P9040006_1 マイセン陶器の博物館。今も観光客でにぎわっていることでしょう。

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2006年9月 3日 (日)

Klosterruine Eldena (エルデナ修道院跡)

今回、DDR の写真を十数年ぶりに眺めていましたら、修道院跡を訪れたときのことを思い出しました。「あら上手に撮れてるじゃない?」と自己満足に陥りそうな写真があったので、ちょっとご紹介。樅の木さんもおっしゃっていましたが、当時のDDR には 結構ガレキが点在しておりました。修復には莫大な費用がかかるため、放置されていたのかもしれません・・・。でも、残骸を見るだけでも、当時の素晴らしい姿が目に浮かぶようです。ちょっと検索しただけで、いろいろ出てきました。

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<エルデナ修道院>

バルト海に面したハンザ都市 Greifswald (グライフスヴァルト)の近郊にあります。1199年、シトー会修道士たちにより「ヒルダ修道院」が建てられたそうです。その後「エルデナ修道院」に名前を変えたとのこと。ところが1633年に悲劇が。ドイツ各地が壊滅的な打撃を受けたといわれる30年戦争の最中、名将ヴァレンシュタインが率いる軍により破壊されてしまったそうです。スウェーデンによる統治を受けていた時代は採石場がわりにされ(レンガを持ってかれたんでしょうね)見るも無残な姿に。1827年になって、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が遺跡の保存に乗り出したとか。

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Klosterruine Eldena(ドイツ語です)

このサイトによりますと、建立800周年を記念して、きれいに手入れされたとのこと。私が訪れたときは、今にも崩れそうで近くに寄るのも恐ろしかったのですが、そのあたりも補強されているんでしょうね。

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旧東ドイツ時代の Unter den Linden (ウンター・デン・リンデン)

「懐かしのDDR その4」まで書かせていただき、「その5」でマイセンを、と思っているのですが、その前に少し脱線。

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先日、東ベルリンを写した西ドイツの絵葉書を見て、思いました。

「この『いかにも共産圏』っぽい建物 なんだろう?」

東ドイツの友人からもらった「Reisebuch DDR(DDR 旅行ガイド)」があったのを思い出し、ベルリンを調べると、ちゃ~んと載ってました。ご丁寧にもウンター・デン・リンデン を拡大したマップが。

Unter_den_linden__1

(順序は地図と同じです)
国民教育省        ハンガリー大使館
ソ連大使館        ポーランド大使館
エアロフロート       外国貿易省
コーミッシェ・オーパー    FDJ (ドイツ青年同盟)中央組織
グランドホテル       インターホテル“ウンター・デン・
リンデンコルソ       リンデン”

(↑何なのか不明。     ブルガリア文化センター
現在はオフィスビル      ドイツ国立図書館
みたいです)          (↑kio さんがよく行かれる『シュター
労働組合の事務所    ビ』?
                
フンボルト大学

Photo_11

マップと向きが逆になってしまいますが、こうして比べてみると懐かしい・・・。Brandenburger Tor に一番近い建物は、「いかにも共産圏~」という風情ですが、彼らがよく言っていた「Bruderländer (兄弟国)」の大使館だったのですね。納得。当時、これらには全く興味がなく(文化的価値の高い古い建造物にばかり目が行ってた、という意味です)何だったか全く覚えておりませんでした。

それにしても懐かしいですね。よくベルリンの友人から Du würdest Berlin nie wiedererkennen. (今のベルリンに来たとしても、絶対にもう昔の姿は思い出せないよ) と、よく言われます。そのくらい一変してしまったんでしょうね。

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9月6日 訂正:

す、すみません~ 上の「国民教育省」、最初は「国防教育省」と書いておりましたが誤りです。DDRって、「Volks-」の言葉をつけるのが好きみたいで、Volkspolizei (人民警察)とか Nationale Volksarmee(国家人民軍)とか、いろいろありました。個人的には「人民」と訳してもいいのかな、という気もするのですが、小学館の独和によると「国民教育省」となっております。見つけてくださった方、ありがとうございますm(_ _)m  当ブログを読んでくださる方々、もし私がアホな間違いをしていましたら教えてくださいね♪

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懐かしのDDR (その4 ドレスデン)

DDR(旧東ドイツ)でもっとも有名な都市といえばベルリンですが、ドレスデンもその次くらいに人気の観光スポットでした。私がDDR を訪れるきっかけとなった友人はマイセン在住だったので、彼女の家からドレスデンへもよく行きました。

ところが!「エルベ川の真珠」だと聞いていたので、それはそれは楽しみにしていたのですが・・・。確かに建物も博物館も宮殿も立派!!圧巻!!だけど とにかく真っ黒。ドレスデン爆撃の影響でしょうか。(後ほど追記:ブログに来てくださった方に伺ったのですが、石に鉄分が含まれていて、それが月日とともに黒ずんでしまうんだそうです)一つ一つ石を拾って再建した、と聞いたのですが、それにしても全面的に真っ黒・・・。最近再建された聖母教会と同様、新旧の石が入り混じる「まだら状態」ではあるのですが、新しい石まで黒ずんでる・・・。西ドイツの人からは、冗談半分で「東ドイツは環境対策が遅れていて、質の悪い石炭を使っているから全てが真っ黒なんだよ~」と聞いておりましたが、それもあながちジョークではなかったのかな、とも思ったり。見事な建造物の数々に感銘を受けるというよりは、とにかく痛々し映り、見ていて辛かったです。

Semper Oper (ドレスデン歌劇場)はDDR のメンツもあったし、貴重な外貨獲得源でもあったのでしょう。再建され、きれいに手入れされていました。夜になるとDDR の建造物にしては珍しくライトアップされ、ため息が出るような美しさ。(ただし、DDR の人はめったに券を買えなかったそうな。)Zwinger (ツヴィンガー宮殿)も見事でした。そのほかにも美術館、博物館と見どころ満載。でも資金難は深刻だったのでしょうか。その他の建造物のメンテナンスまでは手が回らなかったのか、とにかく痛々しいの一言でした。教会などは中に入ると祭壇もボロボロ。上述の Frauenkirche (聖母教会)も当時はガレキの山。戦争を忘れないためのモニュメントというよりは、たんに財政難で放ったらかし、という印象も受けました。繁茂していた雑草が風になびき、物悲しく見えたものです。

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さて、せっかくドレスデンに来たのだから 素敵なカフェでアウグスト強王の話でも聞きながら美味しいケーキでも・・・と思っても、カフェの類は長蛇の列(共産圏名物の行列)か、閉店(Geschlossen)か、休業日(Ruhetag)。このあたり、前にも書かせていただきましたので、よろしければご覧になってみてくださいね。

DDR について (過去の記事) よろしければ、コチラも・・・

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ドレスデンの名所の写真はネットや書籍でいくらでも手に入ると思いましたので、当時の様子が分かる写真だけを載せさせていただきました。もっと面白い写真もあったように思うのですが、実家に置いてきてしまったみたいです。あとは私がどどーーーんと映っていたりして、お目を汚すのはあまりにも申し訳なく・・・。

Dresden_kirchen_
こんな感じで真っ黒でした。この写真から20年を経た現在も、写真を見るかぎり黒っぽさは残っていますが、でもこれほどでは。再建はもちろんのこと、汚れをきれいにするにもお金がかかるのでしょうね。左が確か、Residenz (レジデンツ)、右が katholische Hofkirche (カトリック宮廷教会)。

Dresden_kirche_1
とにかく真っ黒で痛々しいばかり。これもカトリック宮廷教会。

Kirche_1
これも同じ教会かな? 横から見た図です。

Semperoper_1
Semperoper は美しいですね。再建が完成したのが1985年ということですから、完成直後ということになります。きれいな写真ですね~絵葉書じゃないっすよ~。 私ったら、つい自画自賛。あの頃はまだ本物のガス灯があったんですよ~。そうそう、マイセンの友人が「一度でいいから、あそこで音楽を聴きたい!」と言っていました。その夢は統一後にかなったとか。

Semperoper_2
Semper Oper の前の駐車場じゃないかなぁ・・・・。トラビに混じって西側の車がかなり停まっています。

Zwinger
Zwinger宮殿の前。トラビや東製のバンが見えます。バスのお尻も映っていますね。

Frauenkirche_2
Frauenkirche_dresden 先日も載せさせていただいた、夕日を浴びる Frauenkirche (聖母教会)のガレキ。まさか再建されて→ こんな美しい姿によみがえることになるとは…。当時は思ってもいませんでした。とにかく再建にはお金がかかると聞いていましたので。

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Kügelgenhaus (キューゲルゲン・ハウス)という、由緒あるところでランチかお茶をしたようです。字が読めないので何を食べたか分かりません・・・残念!検索したところ、ここは博物館となっているのですが、食べる場所もあったのかな?記憶が曖昧でして・・・。なお、旧東独時代、この所在地は Straße der Befreiung (解放通り)という、いかにも共産圏な名前でした。ま、レーニン通りとかテールマン通りじゃないだけマシか。統一後は元の Hauptstraße (中央通り) に戻っています。

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2006年9月 2日 (土)

懐かしのDDR (その3 ベルリン番外編)

ベルリン編の番外編です。あまり面白くないかもな~と思ったのですが、せっかくスキャンしたので、載せさせてくださいね。最新のベルリン事情には疎いのですが、お詳しい方が今と昔を比較できたら面白いかな、と思いまして。写真をクリックしていただくと、大きくなります。

Ost_berlin
ペルガモン博物館前。トラビや共産国っぽい車が整列しています。旧DDR の大都市は「いかにも共産国」って風情で、とにかくメインの道路がだだっ広い。やたら周囲が見渡せ、建物が点在しているっていった感じでしょうか。一歩奥に入ればゴミゴミした建物密集地になったりもするのですが。ベルリン独特のHinterhof (間口が狭く、奥行きが大きい造りですね。何と訳せばいいのかしら・・・)もたくさん見られました。

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ベルリンの市電です。運賃は忘れてしまいましたが、おそらく20ペニヒくらいだったんでしょうね。切符はコレ↓
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歴史博物館の絵葉書↑

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素人向けの撮影許可証みたいですね。50ペニヒ払うと館内の撮影が許可されたみたいです(まったく記憶ないのですが・・・)。

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で、これが入場券。50ペニヒですって。安い!

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こういう博物館にも行ったみたいです。(まったく記憶ないのですが)フンボルト大学内にある自然博物館っぽいものみたいです。

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アルバムの記録によると、検問所でもあったフリードリヒシュトラーセ駅から西ベルリンのツォー駅まで西ドイツのマルクでDM2.70かかったようです。東から西へ戻る際、フリードリヒシュトラーセ経由で帰るのがもっともポピュラーだったような。その際、乗車券は西側のお金で買わなければいけませんでした。いかに DDR が外貨を欲しがっていたかが、うかがえますよね。しかも高い!東ベルリン市内だと上に記載されているように、20ペニヒぽっきり。東ベルリン⇔ポツダムでも 30ペニヒなのに、どーしてお隣の西ベルリンに行くのにDM2.70も取るの?!? こりゃボッタクリでっせ。こうして2種類を一緒に貼ってあったということは、恐らく当時の私も怒っていたんでしょうね。記憶はないのですが。

Ostberlin_stadtplan
ちょっと見にくいのですが、ご参考までに。1987年の「地球の歩き方」が本棚の奥で眠っておりましたので、20年近い眠りから覚めていただきました。地図の部分をスキャン。

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古い写真ばかりで失礼いたしました。思い出話をしたい、というのではなく ドイツには確かにこういう時代があった、ということを私も再確認したいなぁ~という思いまして・・・。「その4」ではドレスデンの古い写真をご紹介させていただこうと思っております。ご興味がある方、お寄りいただければ幸いです。

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懐かしのDDR (その2 ベルリン)

日数の限られたDDR 滞在だったのですが、東ベルリンへは幾度となく足を運びました。西ベルリンから日帰りで行ったときもありましたし、東ベルリンの友人宅に泊めてもらったこともありました。首都だけあって、それなりに交通も整備され、物資も比較的(あくまでも“比較的”)豊か。博物館など文化面でも充実しており、飽きない街でした。写真をクリックしてみてくださいね。トラビなども大きくなります。

Fernsehturm
東ベルリンのシンボル、テレビ塔。周りはガラガラだったのですが、今はどうかな。エネルギー不足のためか、照明が少なかったです。ネオンなどもないため、夜は暗かったなぁ・・・。

Fernsehturm_2
スキャンした際、ちょっと曲がってしまいました。テレビ塔の入場券です。5マルクは高い!だってベルリン⇔ポツダムの電車賃が30ペニヒなのにテレビ塔に上るだけで5マルクなんて・・・!当時のベルリンっ子たちは「上らないよー見るだけ、見るだけ♪」と言っていました。

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「赤い市役所」。トラビがたくさん停まっています。

Brandenburger_tor
Brandenburg 門。東ベルリンへの日帰りツアーで行かれた方も多いと思います。この光景、懐かしいですよね。

Unter_den_linden
かの森鴎外もめでた(?)ウンテルデンリンデン。左右にはやっぱりトラビ。

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西ドイツで買った、東ベルリンを写した絵葉書。右手に見える建物、いかにも共産圏という造りですね。今はどうなっているんでしょうか。

 

Dom_in_berlin
ガラス窓に大聖堂が映っています。9月2日朝追記:kio さんが教えてくださいました。このガラス張りの建物は、Palast der Republik (共和国宮殿)。アスベストたっぷりの建物だそうで、現在 取り壊し中とか。今となっては貴重な写真ですよね・・・。そういえば、茶色いガラスがやたら光を反射する異様&悪趣味な建物があったことを思い出しましたが、それがコレなのかしら?写真だと美しく見えますが・・・。

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Kaiserwilhelmgedaechtniskirche_1  東では買いたい物が本当に見つからないのです・・・。でも、両替したOstmark(東ドイツマルク)は国外持ち出し厳禁(建前だそうですが、私は当局が怖かったので、一応規則を守っていました)。とにかく何かを買わなきゃ。ベルリンでは生写真を加工したカードが売られていたので、それを買いました。なぜかカイザー・ヴィルヘルム記念教会の戦前の姿の写真も。西側なのにね。戦争で破壊され、そのままの姿で保存されている、あの有名な教会です。戦前はこんなに美しい教会だったんですね・・・

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