懐かしのベルリン
この連休はずっと家にいたのですが、最終日は所用で実家へ行ってきました。昨年、何冊かアルバムを持ち帰って古い写真をブログに載せちゃいましたが、まだあったんですね。私もすっかり忘れておりました。「開かずの間(どこのお宅にもあるでしょ、開けると物がどどどーーーっとなだれ落ちてくるようなお部屋が。)」にまだアルバムが何冊か・・・。
ベルリンを訪れた人なら誰もが行く場所なので、私と同世代の方々は同じような写真をお持ちだと思ったのですが、懐かしいのでついつい載せちゃいました。冷戦時代のものです。
壁崩壊前のブランデンブルク門。ACHTUNG!Sie verlassen jetzt West-Berlin (注意!西ベルリンはここまで)という有名な立て看板。「ご注意!ここであなたは西ベルリンを出ることになりますよ!何があっても知りませんからね!」といった含みのある表現です。学生時代に初めてここを訪れたときは驚きました。そういえばここはいつも人だかりができていましたよね。
国境付近の検問所、チェックポイントチャーリー。アメリカ、フランス、イギリスの管轄化にありましたよね。この写真からは物々しさは伝わってこないのですが、とにかく小心者の私はビクビクしていました。(アルバムには、どの検問所か書いていなかったのですが、別のアングルで撮った写真を日記に載せていらっしゃる方に教えていただきました。同じ建物ですね。焼きそうせいじ様、教えてくださり、ありがとうございました。)
同じくチェックポイントチャーリー。目をこらして見てみると、向こうのほうにペプシコーラの看板が。アメリカっぽい。最近の写真を見ますと、一部だけ残されているみたいですね。
チェックポイントチャーリーにあった博物館の入場券。アルバムにべったりくっついて(涙)剥がれなくなってしまいました。裏面にはRivarol という人の言葉が:
Die Politik gleicht der Sphinx der Fabel. Sie verschlingt alle, die ihre Raetzel nicht loesen. Rivarol. (政治はスフィンクスに似ている。謎が解けなかった者をすべて飲み込んでしまうのだ。)
博物館の中の展示物。有名な写真です。 焦土と化したベルリン。このあともベルリンの苦難の道は続きましたね。
西ベルリン内にあったソ連戦勝記念碑。ここはソ連の管轄下でした。ネットで最近の様子を見ましたが、もう鉄条網なんてないんですね。当たり前といえば当たり前だけど・・・。当時は一種異様な雰囲気がただよっていたような記憶があります。近寄りがたかった・・・。
こういった十字架に胸が痛んだものです。「DDRに7年間拘束されたのち、逃亡中に東ベルリンで射殺」
初めてベルリンを訪れたのはこれより前でしたが、それまで書物を読んだり、話を聞いたりして想像していたものより実際の雰囲気ははるかに物々しく、強い衝撃を受けました。同じ思いをされた方も多いと思います。かつて1つの都市だったところに2つの体制が存在し、しかもその間は非情な壁で仕切られているという不自然な状態。そんな現実をまざまざと見せつけられたように感じました。西ベルリンでも東ベルリンでも友人宅にお世話になったのですが、どちらもその状態に不思議と慣れてしまっているような印象も受けました。20年前の話。大昔とも言えますし、つい最近とも言えますし。
ちょうどこの時期、東ベルリンで歌が流行っていたのを今思い出しました。全部は覚えていないのですが、サビの部分で「Berlin, Berlin. Die Mauer muss weg!」という歌詞が入るのです。どなたか覚えていらっしゃいませんか?もとは西側の歌だったんでしょうか・・・?東ベルリンの友人がこの歌を聴かせてくれて、「Das stimmt! Sie haben recht! (そのとおり!彼ら(=歌手たち)の言うとおりよっっ!」と。こんな歌を聴いてていいんだろうか、密告されてたらどうしよう・・・と真剣に心配しました。

















































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